主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神さまは、私たちを見守っています、遠くから

<Bette Midler ベット・ミドラーの「遠くから」>




Bette Midler - From A Distance (Official Music Video)


<この歌を訳してみました。誰かがすでに訳していたら、ごめんなさい。>


遠くから見ると、世界は青と緑に見えます そして、白い雪をかぶった山々が 遠くに海と小川が出会うのが見えます そしてワシは空に飛びたちます


遠くから見ると、そこには調和があります そして、こだまは全地に響き渡ります それは希望の声です それは平和の声です それはすべての人の声です


遠くから見ると、私たちは皆みちたりているようです 誰も何かを必要している人はいません そして、銃も爆弾も病気もありません 空腹をかかえる人はいないのです


遠くから見ると、私たちは楽器です バンドで一緒に行進しています 希望の歌を演奏しています 平和の歌を演奏しているのです その歌はすべての人の歌です


神さまは私たちを見守っています 神さまは、私たちを見守っています 神さまは私たちを見守っています 遠くから見守っています 


遠くから見ると、あなたは私の友達のように見えます 戦争中なのに


遠くから見ると、どうしても理解できないのです このすべての戦いは何のためなのか 


遠くから見ると、そこには調和があります そして、こだまは全地に響き渡るのです そして、それは希望の希望です それは愛の愛です それは、すべての人の心です それは希望の希望です それは愛の愛です それはすべての人のための歌です


神さまは私たちを見守っています 神さまは私たちを見守っています 神さまは私たちを見守っています 遠くから


ああ、神さまは私たちを見守っています 神さまは見守っています 神さまは私たちを見守っています 遠くから


(Source: Musixmatch, Songwriters: Julie Gold, From a Distance lyrics © Wing And Wheel Music, Julie Gold Music)


<神さまは私たちを見守ってくださる。遠くから?>


なんで“遠くから”なんだろう?どうして傍でしっかり私を抱いてくれないんだろう?どうして?・・・私は神さま、あなたのぬくもりを感じたいのです!!!


そう祈るあなたの気持ちはよくわかります。もしかして、あなたは遠くをみているから、見えないのかも。神さまは、もうすでに飛んできているのかもしれないのです。あなたを抱き温めるために。


聖書の言葉「主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。」(イザヤ書 40:11)


文責:ロバート イー

一日一日死を意識して生きている癌友(がんとも)に乾杯!

<癌友は愛しい>


同じ教会の青年会で親しくしていた私より一回り若い人がふたり、天に召されて行きました。ひとりは膵臓癌で、一人は、リンパ癌の後遺症で亡くなりました。ひとりは、この世に未練を残して、一人は静かにこの世を後にしました。


癌というのは細胞の病気です。細胞は、絶えず再生されます。古い細胞は死に、新しい細胞が生まれるのですが、癌化した細胞は死なないで、どんどん増え続けるのです。


癌は、誰にでもなる病気です。例えば、私の肺癌は、過去の(48年前の)タバコの喫煙による(?)のかも知れませんが、タバコを飲んだことがない、周りに喫煙者がまったくいないという人でも肺癌になります。子宮癌、乳癌など、Gene(遺伝子)の問題だと言われます。ということは、原因がわからないということです。


癌は治らない病気でした。癌が発見されたと言われたら、死の宣告でした。否、今もそうですが、今は癌治療の進展で、患者が生き延びるようになったのです。


<癌は、完全に治癒しない病気です>


癌は再発・転移します。私も肺癌から首に転移しました。癌患者は、見えない癌と付き合いながら生き続けているのです。そういう人たちのことを「Cancer Survivor」(癌生存者)といいます。


「Co-Survivor」(共同生存者)という言葉もあります。この言葉は、癌を病む愛する人の世話をしている人たちを表しているのです。


癌治療というのは、つらい仕事です。癌細胞を(良い細胞も一緒に)殺すのですから。キモ(化学療法)は、3日目から吐き気、下痢、便秘、無気力、食欲不振、などに襲われます。昔は、キモをするくらいなら死んだ方がましだと言われましたが、今は、いろいろな薬で症状を抑えることができるようになりました。


でも、大変です。だから、Co-Survivor が必要なのです。日本では、入院して化学療法をするそうですが、アメリカでは、病院でIVをしたら家に帰されます。だから、アメリカでは、Co-Survivor(共同生存者)が必要なのです。食欲がなく吐き気がしてもがんばって食べなければなりません。体力が勝負ですから、体重を減らさないことです。


<癌友は、コムラッド(同志)>


化学療法の部屋に入ると数人の人がリクライニングチェアに座ってIVを受けています。目があえば “Hi(ハイ)”と言いますが、長話しはしません。髪の毛が抜けて、毛糸の帽子をかぶっている若い人たちを見ると、自分の残っている命を全部あげたくなります。


放射線治療の部屋から出てきて、次に入るために待っている人が居ると、“Good Luck”と心の中で言います。


我々 Cancer Survivor は、みんなで戦っている癌戦の闘士です。同志です。この戦いに勝てるか勝てないかそれはわかりませんが、みんな Winner(勝利者)だと思っています。


私は、あのヤコブがヤボクの渡しで神さまと相撲をとり、神さまが彼を祝福するまで神さまを離さなかったという記事を思い出します。(創世記32章22~30節)


人は、死を意識する時、「生きる」ということがくっきりと見えてくるようです。そして、神さまを見上げるようになれば(そのうちに)すべてのことに感謝することができるようになります。


文責: ロバート イー

祖父から孫への贈り物の謎

<孫からインタビューされました>


アメリカの小学校2年生の孫の学校の宿題(プロジェクト)で移民してきた人をインタビューするというのがあって、私がインタビューされました。いろいろな質問に答えたのですが、その質問中に、「アメリカに来た時、何か先祖代々につたわるものを持ってきたか?」「もしあったら、どんなものか?」というのがありました。


私は、韓国国籍だったので、大学卒業後に就職ができず、アメリカで勉強して日本の戻ろうとしました。それで、大学で知り合った妻と(両方の親の反対を押し切って)結婚して、アメリカに留学してきたのです。ですから、大したものは何も持ってきませんでした。


で、「何もない」と答えようとしたのですが、父がアメリカに留学した時に祖父から貰ったというPocket Watch(懐中時計)がありましたので、それを孫に見せました。




<父が祖父にもらったのは金時計でした>


父は、16才の時、韓国で祖父と親しくしていた宣教師がアメリカに帰る時に誘われて一緒に渡米したのです。1923年(98年前)の話です。その後、父は、UCバークレー大学(当時のカリフォルニア州の唯一の州立大学で、UCLAは、まだバークレーのExtension(分校)だった頃)の農業科を1932年に卒業し、プリンストンの神学部を中退して韓国に帰ったそうです。




祖父が父に手渡したこの時計は、父が緊急の時にお金に替えることができるようにと祖父が与えたもので、元々は金時計だったそうです。それで、父は、その金のケースを売って、銀時計にしたと聞いていました。


今日、その裏側を開けてみると「Waltham, Mass」と書いてあったのです。ということは、この時計がアメリカ製で、マサチューセッツ州で作られたものだということになります。





動く部品にルビーなどの宝石が使われている精巧な器機です。今でも正確に動いています。


当時、韓国で高価なものは皆イギリス製だと聞いていました。イギリスが世界を制覇していた時期です。母のダイヤの婚約指輪もイギリスに特注したものです。だから、私は、父がもらったこの時計(元金時計)もイギリス製だろうと思っていました。でも、これがWaltham Watch 製だとすると、アメリカで作られたものということになります。



当時のWaltham Watch Companyは、なかなかの精密機械工場だったようですね。


これがもともとのオリジナルだとしたら、祖父がアメリカ製の時計を父にあげたことになります。それなら確かにケースを(金から銀に)取りかえることは容易だったことでしょう。この時計のシリアル番号、2060247をたどれば、かつて韓国に渡ったものかどうかもわかるはずです。


いずれにしても、古いものなのに、今でもしっかり時を刻んでいるのがすごいのです。まるで新品のようなのです。


<孫にあげました>


この時計をのぞき込んでいる孫に「Do you want it?」と訊いたら、「Yes」というのであげることにしました。今はとりあえず、彼の父(婿)に渡しましたが、マサチューセッツ州は、婿が生まれ育ったところです。


ふと思ったことは、この時計が、祖父から父へ、そして、私から孫へと5世代に渡って動き続けているということです。ゼンマイを巻きさえすれば、動いてくれるのです。


『3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、・・・3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。・・・3:10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。』(伝道の書3章1~11節、抜粋)


神さまは、私たちに“時”を与えられました。孫たちも与えられた“その時”を大切に有意義に生きてくれたらいいなと思います。


文責:  ロバート イー