主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

こんな風に詩編を歌うなんて、やばい !

主と私


<「かみさまに歌う」というグループが歌う”詩編”を聴きました>

 

もともと旧約聖書の詩篇というのは、楽器を奏でて歌われたものですが、その詩篇をそのまま現代の曲にしているのです。

 

Youtube の中に、それが掲載されていて、それもいろんな形式で。フォークソングのようなものから、カウントリー、ジャズ、ラップに進展しています。


<詩編30篇>

 

詩篇第一篇は、ゆっくりしたフォークソングのよう。詩篇第16篇は、少し速くなり、・・・ 詩篇第30篇は、びっくり。すぐに とめたくなりました、私の嫌いなラップです。・・・ でも、詩編なのです。




・・・ 嫌いなのに、私は聴きました。繰り返し聴きました。・・・ それが、神さまに叫び歌う心の讃歌となっているのです。

 

私は、聖書を片手に聴きました。新共同訳聖書で一字一句たがわずに見事に歌い上げています。

 

心に残ったのは、有名な 6 節・・・泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。

 

7節、平穏なときには、申しました 「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。 (なのに) 8節 ・・ しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。

 

9 節、主よ、わたしはあなたを呼びます。 主に憐れみを乞います。 

10 節、 わたしが死んで墓に下ることに 何の益があるでしょう。 塵(ちり) があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。(・・でしょう、だから殺さないでくださいませ! )

 

{ リビングバイブルでは 「主よ、私を殺したって、一文の得にもなりません。 生きていてこそ、友人の前で あなたをたたえることができるのです。} となっています。

 

いや  この激しい、うるさいラップを聴きながら、ダビデが神さまに捧げた強烈な祈りを感じさせてもらいました。

 

文責:   ロバート  イー

これを食べたら死んでもいいという食物

主と私

(イエスの言葉:聖書に書いてあります「人はパンのみにて生きるにあらず」と)


 

〈これを食べたら死んでもいいという食べ物がありますか?〉

 

・・・処刑される前の最後の食事は、なんでも食べたいものが与えられると聞きました。・・・もし、あなたなら、何を望みますか? ・・・ステーキですか? クエ料理ですか?

 

思うに、私には まだ食べていない食べ物がいろいろあります。へび、サメ、バイソン (野牛) など、まだ 沢山あると思います。・・・そんな物食べなくていいとおっしゃいますか?

 

否、わたしは、なんでも 美味しいと言われるものは、見かけに関係なく 食べてみたいです。見かけの悪いものほど、美味しいものがあるのかも知れません。

 

聖書にも、"心配しないで食べなさい" と書いてあります。

 

『彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。』 (テモテへの手紙第一 4章 3〜4節)

 

〈食べられない友がいます〉

 

ALS (筋肉萎縮症) を病んでいる友人は、呼吸器をつけたので、食事ができなくなり、会話もできません。

 

動くのは、右足の親指だけ、それで私にテキストしてくれます。

 

彼に、"食事ができなくて、残念だね"と言ったら、"諦めました" と (喉につけて音をだす) 機械を通して言いました。

 

私は、彼のためにいつも祈っています。今日一日の "いのち" の為に。彼がくれる "勇気" の為に。

 

彼を通して、イエスさまが語ります。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』(マタイの福音書 4章 4節)

 

彼の肉体は、胃瘻によって支えられていますが、彼は植物人間ではない。精神も霊もしっかり支えられているのです。

 

信仰によって、希望と喜びをもって、一日一生を生きています。

 

イエスはおっしゃいました。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。( ヨハネによる福音書 6:54 )

 

それが聖餐式です。クリスチャンの食事です。

 

文責:  ロバート イー

悲しみや困難は、神さまからのプレゼント

主と私

 (Pexelの無償の写真を使用させて頂きました)


<歳とるとやけに過去を振りかえります>


礼拝で、美空ひばりの「川の流れのように」の替え歌を歌ったら、みんなが喜んでくれました。

♫ あ~ぁ~川の流れのように、主の御手にこの身を任せて生きる。あ~ぁ~川の流れのように、とめどなく 神の慈しみ 押し寄せる~ ♬


みんな自分の人生を振り返り、同じ思いを抱いたのかもしれません。


<互いに嫌悪する兄弟>


何度も書いていますが、私たち家族は朝鮮戦争の時に日本に行きました。父の任務が終われば韓国に戻るはずだったのに、日本に留まることになった。・・・このことが私たち五人兄弟姉妹の運命を変えたのです。


私には弟がいます。私たちふたりは、最近まであまり話をしませんでした。ふたりの考え方は、全く正反対だったからです。弟は現状をそのまま受け入れる保守派で、私は現状否定の改革派です。彼はトランプ派で、私はオバマ派です。

これでは、話になりませんね。

私は、彼のことを "馬鹿" (無知) と呼んでいました。彼は私のことを"知ったかぶり" と言っていました。彼は、現状を(あえて) 見ようとしない愚か者。私は、自分なりに現状を把握し(正しいか正しくないかは別として) 対応するというタイプ。お互いに軽蔑してあまり付き合いませんでした。


その関係は、ふたりが (神さまを信じる) クリスチャンになっても同じでした。基本的な神学 (救い)は 同じだけど、そこには "愛" はない。


<無視から和解に>


確か、彼がアメリカンスクールで一緒に野球をしていた親友が病気 (ALS) で、彼から昔の野球の試合の記事のコピーが送られてきた時でしたか、クリスチャンアカデミーという学校での野球の話から父の話になりました。


天国に行ったら、どうして日本に留まったのか聞こうということで意見が一致したのです。ふたりで意見が一致することは、非常にまれでした。


そうこうするうちに、彼とテキストをし合うようになりました。


私は、近くの公立小学校の2年生に編入して、毎日喧嘩しなければなりませんでしたが、彼は 私立のクリスチャン・スクール (青山学院初等部) に入りました。弟は毎日喧嘩しなくていいなと思っていました。


私は 弟が馬鹿なのは、ぬるま湯のクリスチャンスクール行ったからだ思っていました。ところが、彼が4年生の時に、アメリカンスクール に転校したのです。せっかく良い学校に入ったのに、どうして? と思いました。


彼から "自分は、クラスについていけない最低の生徒だった" というテキストをもらった時、私はピーンと気ました。あのクリスチャンスクール、あの青山学院の初等部、そのクラスには 吉田茂の孫などの優遇生徒たちがいました。そんな子供たちに囲まれて、彼は見事に疎外されていたのです。誰にも何も教えてもらえなかったのです。


彼は、自分が無能だからついていけなかったと思い込んでいました。でも、勉強は積み重ねです。分からなくなったら、どんどん分からなくなるのです。


私は、"自分が馬鹿だったから" というテキストを読んで、腹のそこから怒りが込みあげてきました。


"John, you were not stupid. They were intentionally not helping you. Remember, you did great at Christian Academy, right? You graduated from a college with honors."
(ジョン、君は決して馬鹿ではなかったんだ。彼らが意図的に、君を助けようとしなかっただけなんだよ。思い出してごらん。クリスチャン・アカデミーでは良くやったじゃないか? 大学だって、優等生として卒業したじゃないか。)


父は、彼を英語スピーキングのクリスチャンスクールに入れました。4年間何も学ばなかった彼は、そこで基本的な英語を学ぶ事から始めたのです。


毎日のように、英語の聖書 (欽定聖書) の単語を帰って来た父に訊いていました。古文の英語です。そのうちに、野球でも柔道でも賞をとるようになりました。数年で英語も話し、英語の読み書きができるようになったのです。・・・馬鹿じゃない。・・・ただ、深くは考えないけれど (文学などやる余裕がなかったから?)。


私は、彼がそんなに苦しんでいたことを全く知りませんでした。私と全く違う状況で、偽の笑顔と見せかけの親切の中で、半ナマにされていたのです。


私は、(このことを通して)生まれて初めて彼を見直したのです。ふたりの考え方は、全く違います。・・・天国で両親に感謝しようということ以外は ほとんど何も一致しないふたり。ふたりは違いを受け入れようと思うようになりました。


何故、トランプなのかも少し分かってきました。


人は苦労や悲しみを通して、人生の意味を知り、互いに心を通わせるようになるようです。


♫ あ~ぁ~、川の流れのように、主の御手にこの身まかせて生きる。。あ~ぁ~、川の流れのように、とめどなく 神の慈しみ 押し寄せる~♬


文責:  ロバート イー