主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

わたしたちは、祈ります。誰に教えられなくても祈ります

  (ロサンゼルス・ホーリネス教会のステンドグラス)


<祈るということはどういうことでしょうか>


信仰とは関係なく、私たちは “がんばってね、祈っています” などと言います。英語でいうと“Good Luck!”(幸運を願う)みたいなものです。あなたが望むようになるように、願っています、と励ましているのです。


祈るということ、祈願するというのには、祈る対象があります。・・・ 台湾には仕事でよく行きましたが、観光をしたことはめったにありませんでした。そういう私に、ある取引会社がわざわざ台北での半日の観光を計画してくれたのです。


ホテルに古い車で迎えに来てくれた人は、少し日本語が話せる人でしたが、車であちらこちらの寺院をまわるのでした。私がクリスチャンであることを知ってか知らずか(有名な?)寺院を回りました。そこでは、多くの人たちが長いお線香を手にして、それを上下に振りながら、お辞儀をくりかえしていました。


人々は、自分の願いを見えない大いなる(力ある)存在に託しているのです。


私の家は、クリスチャン家庭でしたので、教会につれていかれました。そして皆さんの立派な(?)お祈りを聞きながら育ちました。学校は聖公会でしたので、祈祷書というものがあって、祈るというより唱えます。


<祈りはかっこよく祈らなくてもいいのです>


私は、かっこよく祈れません。それでも、多くの人に “どうしたら、皆さんのように立派なお祈りをすることができるのでしょうか?” “皆さんは練習されるのでしょうか?”と訊かれました。


私が神さまを求めるようになり、教会の祈祷会に出席するようになって、しばらくした時、司会の方が “今晩の祈祷会のために Yi兄弟に開会のお祈りをしていただきます。”・・・ “その前に賛美をいたしましょう。聖歌何番を賛美しましょう・・”と言われたのです。


・・・私は、まだ声をだしてお祈りすることに慣れていませんでした。神さまに自分が思っていることをぼそぼそとお話しする状態でしたのに、祈祷会の開会のお祈り、みなさんの代表のようなお祈りなんかできません。


みなさんが賛美をしている間、どうしよう・・・“神さま、助けてください!”と叫んでいたのです。そして、みなさんが賛美をしている間、みなさんがしているお祈りを思いだしながら、開会のお祈りをしたのです。冷や汗ものでした。・・・ このようにして、神さまに祈るということを覚えていったのです。特別に台本があるわけではないのです。


聖書に、神さまはすべてご存じだと書かれています。人に聞かせるような祈りをするなと書かれています。そして、このように祈りなさいとイエスさまは「主の祈り」を教えてくださいました。 ・・・ 神さまはすべてをご存じなのに、“求めなさい”とも書かれています。(マタイ7:7~11)


神さまは、祈ったから私たちの願いをかなえてくださるのではないというのです。神さまは私たちが祈らなかった時でも私たちの願いをかなえてくださっていたのだ、ということもわかってきます。


祈りに形などないのです。かっこいいお祈りは人に聴かせる祈り、無言の祈りこそ本当の祈りです。(ただ、無言だと自分がどういうことを祈ったのかわからなくなります。)


どのようにして祈るのかわからない人には、まず、”神さま”とお祈りするお方にに呼びかけること、最後に”イエスさまのみ名によってお祈りします”ということだけお伝えしています。


それは、イエスさまが、ご自分の名前によって祈りなさいとおっしゃったからです。


<お祈りの基本は、神さまに話すことです>


神さまに祈るということは、神さまを身近に感じることです。・・・


♫ お母さん、お母さん、お母さんってばお母さん。何にもご用はないけれどなんだか呼びたいお母さん。お母さん、お母さん、お母さんってばお母さん。何遍読んでもうれしいなぁ、お返事なくてもうれしいなぁ ♪・・・という歌があります。


私は、時々(心の中で)“あぁ、主よ・・・”と呼びます。何も用事がないのに、否、有りすぎるのかも・・・返事がなくても呼びます。・・・主はいつも私たちを見守ってくださるお方なのですから。


<「主の祈り」:主イエスが教えてくださった祈りです>


「 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。  御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。  私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。  私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。  私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕」(新改訳3版 マタイの福音書6章9~13節)


文責: ロバート イー

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