主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

宮本武蔵は、なぜ仏像を彫ったのだろうか?

(朝鮮戦争当時の写真:中央の将校は、いつも父の傍についていた刑事です。左下に座っている兵隊が家を守っていた警官でした。)


<私は、日本で「闘争心」を培いました>


朝鮮戦争のまっ最中に、私の父が日本に派遣され、私は7歳の時に日本の小学校の2年に編入しました。その小学校では徹底的にいじめられ、暴力をふるわれたのです。


変なもので、殴られて、殴り返す時、強い愛国心がわいてくるのです。“自分は韓国人だ、日本人には負けない。”という意識が湧いてくるのです。毎晩、韓国に帰ったら、戦車をつらねて日本にもどり、日本人をみな踏みつぶしてやろうと誓ったのです。そうしなければ寝られませんでした。


ところが、中学に進学したら、クリスチャンスクール(キリスト教精神の学校)だったので、誰も自分を差別する人がいませんでした。みんな私を(普通に)受け入れてくれたのです。愛してくれたともいえるのです。(あまりの違いに)これはちょっと理解しにくいことでした。


それで、私は中学・高校をかけて、国とか国籍とかについて深く考えるようになり、(ついに)国籍にこだわることを否定するようになったのです。・・・私は、“韓国人”になろうとして、韓国に生まれたのではない。・・・


ある人が「オリンピックで韓国と日本が戦ったら、どっちを応援する?」と聞いてきました。私は「弱い方を応援する」と答えました。私は、アメリカに帰化した Asian American (東洋系アメリカ人)です。それでも、アメリカを応援しなければならないとは思わないし、国粋主義者ほど害悪なものはないと思っています。


でも、人は争うのです。同じ国の同じ村の人でも争うのです。同じ大学から入った会社で誰が最初に役職につくかで優越感をいだいたり、劣等感をいだくのです。出世頭がつまずけば、“ざま~みろ”と喜ぶのです。


私は、負けることを怖れません。毎朝、4,5人の子供に待ち伏せされて、対等に戦ってきた経験があるからです。でも、学校の雪合戦で雪に埋められた時は、“自分は死ぬんだ”と思ったものです。どうやってそこから出てきたのか記憶にありません。


<「日本人」ってどんな人なんだ>


私は、自分の小さな戦車ののぞき窓から「日本人」を見てきました。


私はいつも日本人を知ろうと思っていました。私ほど日本人を研究した人はいないだろうと思われるぐらいです。日本人とか日本の文化には興味深々なのです。日本に関する本をたくさん読みました。今も書棚には日本の思想史の本がならんでいます。



私は、日本で生活してきたけれど、家では、日本の朝食(ごはんに味噌汁)を食べたことがありません。いつも、パンにハム・ソーセージや卵、その他はシリアルなどだったからです。そいう面では、ひとり旅行をして日本を体験していたのです。日本は、実に面白いところです。


<宮本武蔵を通して日本が見える>


自分は、戦ってきたという意識があるので、日本の戦国時代の武士の精神が好きです。力いっぱい戦って、みごとに死んでいきたい、みたいな。


吉川英治の「宮本武蔵」は何度も読める小説です。読む度に感動します。実物の“宮本武蔵”は、本とは違うでしょうが、本の武蔵は、なかなかいいです。


この武蔵は“武士道”を極めようとします。武士は、刀という武器をもって相手を倒すのです。武蔵は絶えず緊張し、切磋琢磨し、油断を慎みます。そして、その相手を切り倒しては、仏像を刻むのです。


そういう武蔵に郭(くるわ)の吉野大夫が“説教”をするところがあります。


刀の研磨、手入れ、鑑定を嗣業とする本阿弥光悦にさそわれて、郭(くるわ)に出かける武蔵に決闘書が渡されます。で、郭(くるわ)での遊びの途中で抜け出して、伝七郎を切り捨てて、郭(くるわ)に戻ると、吉野大夫はさっと服についていた血のりをふき取り、“緋牡丹の一片(ひとひら)”だと言います。


郭(くるわ)の周りは無数の殺気をおびた吉岡道場の者たちが待ち構えています。


光悦らと共に帰るという武蔵を押しとどめるのが一苦労。とりあえず夜があけるまでということで、光悦たちが帰ると、ひと時も休みもせずに緊張している武蔵に、吉野大夫は、みんなに弾いて聞かせていた琵琶を叩き壊して、「琵琶の音の秘密は、中に渡してある横木にある」と説きます。



その横木には微妙な弛み(ゆるみ)をもたしてあるので、さまざまな音を奏でることができるのです。・・・だから、たえず緊張していては、ダメだと説いたのでした。


吉野大夫に、“余裕”を持つことを教えられ、武蔵はそれから3日そこに逗留するのです。私たちには、大きく息を吸って、ゆっくり吐いていくことが必要なのです。


<聖書に「安息日」を守れということが書いてあります>


旧約聖書には、安息日の厳守ということが書かれています。神さまは6日で全世界を造り、7日目に休まれました。神さまが“休み”、その日を聖別されます。


7日目に休む、これが神さまの命令です。勿論、この日を遊興のために用いなさいというわけではありません。神さまが7日目に休まれたことを覚え、休むのです。それを記念し、それを記憶するように毎週7日目には“休め”というのです。


私たちクリスチャンは日曜日に礼拝をします。神さまを覚え、神さまを礼拝するのです。


武蔵は、人を叩き切って、かえり血を浴びた身を清めてから、仏像を彫りました。それで、叩き切ったその魂はよみがえるのでしょうか?よみがえりません。でも、武蔵は、仏像を刻みました。それは、自分が殺めた人への祈りに似たものではないかと思います。人を殺めるのは武士の生業です。その生業を極めるためには、多少の犠牲はしかたがない、のでしょうか。


日本に宣教に来たキリシタンの祭司は、戦国武士に会いました。そして、多くの武士がキリストの救いに預かりました。説明できないこの世の矛盾の中で、“キリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)”と唱えるようになるのです。


安息日は、“気休め”ではありません。神さまの命令です。「休みなさい。神さまを礼拝しなさい。神さまは、全世界を造られて、(私たちのために)休まれたのです」と語られているのです。


“休息”は神さまからの祝福です。礼拝は、神さまから生きる“力”を受ける時です。


『11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。』(マタイ11:28〜29)


文責: ロバート イー

×

非ログインユーザーとして返信する