主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

反省しています。大谷選手がクリスチャンになったらというのは、身勝手な話でした。

(大谷選手とドジャースからの能登半島の災害援助について)


<夢かうつつか幻か>


そうですね。聖書に「老人は夢を見る」とありますが、本当に、大谷選手のような人がクリスチャンになってくれたら、いいなというのは夢ものがたりです。


大谷選手は、“誠実で、やさしくて、無作法をしない” 人ですよね。・・・ まさに、聖書の言葉を思いうかべるような人です。でも、仏教の人もイスラム教の人たちも自分たちの宗教に入ってくれたらと願うのではないでしょうか。彼には人を引き付けるものがあります。単に、名声とかお金を得て人生を謳歌するというようなタイプにはみえません。


<昔のクリスチャンって、みんなそうだったんです>


私たちは、56年前にアメリカに留学した貧乏学生でした。当時のアメリカ人は、皆クリスチャンで、みなさん親切でした。食べ物をシェアーしたり、困った人を助けるというのは、当たり前だったのです。


私たちのボロ車は、よく故障しました。立ち往生して困っていたら、どこででも見知らぬ人たちが車を止めて助けてくれました。


警官さえ親切でした。・・・サインを見落として、Uターンをしたら、ちょうどハイウエイパトロールがいて、すぐに止められました。“しまった!”と思いました。警官が来て、“運転免許書を見せなさい”と言われて、ポケットを探したら、“ない!”。ズボンを代えてあわてて、出てきたので、財布がない。・・・警官は、“すみません、あわてて出てきたので、・・・”と言い訳をする私の顔をジッとみて、“君は、悪い人間には見えないから、今回は許してあげます。でも、みんながそうするとはかぎらないから、気をつけるように”と言ってさっさと行ってしまいました。


数限りある、そういう昔のエピソードを思いだすと、今でも涙がにじみます。そういう人たちがいたから、私たちはなんとか生き延びてこられたのです・・・。


それなのに、50年経た今、そういう親切な人たちはいなくなり、毎日のように拳銃や自動小銃で人びとが殺されるようになってしまいました。


<大谷選手の立ち振る舞いに昔のクリスチャンの姿を思い出したのです>


愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。』(第一コリント13章4~6節)


大谷選手は、ここに書かれたことを実行しているように見えるじゃないですか。だから、シンプルに“クリスチャンになったらいいな”と思っちゃうんです。ごめんなさい。


私は、もうテレビで野球の試合も見ないし、どのチームがどうなっているのかフォローもしていないのです。ですから、大谷選手を自分たちの仲間に引っ張ろうという魂胆が全然なかったわけではないのですが、こういう人がプロの野球選手の中に現れたということだけでうれしかったのです。結婚されて家庭をもたれたというのも(個人的には何の関係もないのだけれど)すごく喜ばしいニュースでした。みんなに知られずによくやりました。


<Give me a space = 少しほっといてください>


息子によく言われる言葉に、“Give me a space”というのがあります。直訳すれば “空間(距離)" をください”ということになるのですが、意訳すれば、“根掘り葉掘り聞いたりしないで、ほっといてください”という意味になります。


大谷選手は、大人気者です。彼の好きな「インアンドアウト・バーガー」にも食べにいけないのです。(買ってきてもらえば、フレンチフライはしなびてしまいます。)・・・映画にも、犬をつれてそのへんを散歩することもできないのです。・・・・これからどのように公共での生活をするのかわかりませんが、なんとか今のような牢獄にいるような生活からはぬけだしてほしいと思います。・・・あのバスケットボール選手、マイケル・ジョーダンは、ハンバーク店を貸し切ったそうですが、・・・。



最近のはなしですが、ある人がオーストラリアの高級レストランで食事をしていたら、今、人気絶頂の歌手テイラー・スウィフトのグループが食事をしていたそうです。そこの人たちは、サーブをしている人たちも他のお客も何事もないように食事をしていたそうです。大谷選手もそうできたらいいなと思います。


Let’s give him a space、わたしたちも、サインなどねだらない、写真をパチパチ撮らない。犬の散歩をじゃましない、気楽に食事を楽しませてやってほしいな、とそう思います。


文責: ロバート イー

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