主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

笑えるって素晴しいことですね

(ブラジルのリオデジャネイロのコルコバードの丘にある巨大なキリストの像。)


{妻が病気の時、義母は“笑える?”って訊いた}


妻が小さい時、病気になると、義母は、"笑える?"って訊いたそうです。・・・笑えるようになったら、回復した兆候というわけです。義母も“笑えそうだな”と思った時に訊いたのだろうと思います。


{「悲しい人」がいました}


家から車で8分ぐらいのところ (Atlantic Blvd とValley Blvdのところに)ベトナムサンドイッチを売っている店があります。


そこに「悲しい(顔の)人」がいました。私たち夫婦は、よく "今日は、悲しい人のところでサンドイッチを買おうか?" と言っていました。


この辺りに住んでいる人ならどこの店か、どの人のことか分かると思います。


彼女は、いつも哀しみに(じっと)たえているというような表情をしていました。"笑える?"って訊けない、深い哀しみをたたえているように見えました。


私たちがその店に通うようになってずーっと、彼女はいつも「悲しい人」でした。(そういう顔で生まれたのかと思えるほどでした。)


ところが、先日サンドイッチを買いにいって、帰ってきた妻が “あの人もう哀しくない見たい" というのです。"それはよかった、彼女の不幸の原因が解決したのかも知れない”。でも、何か信じられませんでした。


{彼女が微笑んだのです}


妻からテキストが来て、娘と孫が来るから、歯医者の帰りに、サンドイッチを買って来るようにとのことでした。


その店に寄ると、"本当だ"。彼女は "普通" の何気ない表情になっています。


"よかった、よかった"と思っていると、"合計いくらです"と言われて、クレジットカードを出すと、"現金で"と言われて、"あっそうだった。ここは現金だった" と財布を開ける。現金が足りない! (どういう訳か、だいぶ慌てている。)


"車に隠し金があるので取りに行ってくるから待ってください" といってから、行こうとして、違うポケットに20ドル入れてあったのを思いだして、"あった、あった”。


”I am getting old and forget everything.” (私は年取ってしまって、なんでも忘れてしまうんだ。)といったら、彼女がふっと微笑んだのです。


微笑んだ! 微かだけど、笑ったんです。"あぁよかった。本当によかった"、とそう思いました。


テサロニケ人への第一の手紙‬ (‭口語訳 5章16~18節)‬‬


[16] いつも喜んでいなさい。
[17] 絶えず祈りなさい。
[18] すべての事について、感謝しなさい。


これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 ‬‬‬


文責: ロバート イー

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