主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

わたし達は、みんな人生の傷跡をもっています


Johnny Cash - Hurt
(Jonny Cash 「Hurt」(痛み))


I hurt myself today
今日私は怪我をしました


To see if I still feel
まだ(痛みを)感じるかと


I focus on the pain
痛みに注目しました


The only thing that's real
痛みだけが生きている証拠だから(意訳)
・・・


<2種類の傷跡があります>


私たちは、この世に生きている過程で、肉体的な又は精神的な傷跡(Scar)をこの身に心にもつようになるようです。


その傷跡は、ダメージを受けた後、(回復にしたがって)小さくなっていき、ほとんど見えなくなるか、完全に消えてしまう場合もあるでしょうが、隠しようもない醜い傷跡を残すこともあります。


私は、2010年の8月28日に心臓麻痺(心筋梗塞)を起こし、心臓の左心室に血液を送る環状動脈が100%詰まってしまったのです。定期的に血管を広げる薬を注入して、心臓が止まらないようにしているのですが、起こってから90分以内に血管をあけないと死ぬのだそうです。土曜日で専門医がなかなか見つからず103分かかりました。


ようやくその専門医が見つかって、サイレンを鳴らして救急車で運ばれ、カテーテルが挿入され、ステントが挿入されました。・・・すぐにお医者さんがのぞき込んできて、“どうですか痛みは?”と訊きました。でも、まだ、かすかに「痛み」(鈍痛)が残っています。


お医者さんは言いました “あなたの血管は100%詰まっていました。詰まっていたのを取り除き、ステントを入れたので、もう大丈夫です。You shouldn’t have any pain(もう、痛みはないはずです)”


翌朝、6時頃、病室の窓の外に朝日が昇ると同時に、今まで感じていたかすかな「鈍痛」がスーッと消えていったのです。“あっ、治った”。


だいぶ経ってから、私は、その話を私の心臓の主治医に話たところ、その先生は笑いながら、“それは、血が行かなかった心臓の筋肉が死んだのですよ”と教えてくれたのです。・・・死んだ心臓の筋肉はScar(傷跡)になる。心臓の一部は動かなくなるが、それが心臓の healing process(癒しの工程)なのだそうです。それ以来、私の心臓は血液をあまり供給できなくなってしまったのですが、・・・まだ、生かされています。


これは、心の傷の場合も同じではないかと思います。冷たい言い方かも知れませんが、その傷は小さくなっても消えないかもしれません。


<傷跡はあった方がかっこいい?>


昔、私たちが若かった頃、「傷だらけの人生・・・」とかいう歌がはやったような気がします。傷跡は、人生の勲章みたい。


でも、人によったら絶対に触れられたくない「傷」を持っている人もいるのです。実は、その「傷」がその人の人生を決めることにもなるのです。だから同じ傷を持つ者への同情心というのもあります。“癌友(とも)”なんかはそうです。


<イエスさまは、病人を癒しました>


新約聖書のメインテーマは、この世の苦しみ・悲しみの解決です。その主な原因である「病気」をイエスさまという“人間”が実際に癒したのです。めくら(差別用語じゃない)の目を開き、足なえを歩かせ、それだけじゃなく、死人をも生き返らせたのです。・・・そして、本人は十字架にかかって死んだ、と記録されているのです。・・・そして、3日目によみがえり、天に昇られました。


(紀元前700年頃に書かれた)旧約聖書のイザヤ書の預言に、「53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」という言葉があります。


御子イエスのその傷によって、わたしの傷跡(痛み)が消えた」と信じることができる人は幸いです。


I hurt myself today
今日私は怪我をしました


To see if I still feel
まだ(痛みを)感じるかと


I focus on the pain
痛みに注目しました


No, I don’t feel the pain anymore
痛みはもうありません(替え歌)


文責: ロバート イー

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