
< 茅野友子氏について>
妻が 恩師 茅野先生の90歳の祝いに出かけたのが 4月16日でした。茅野先生のことや先生のご主人(アメリカ・ホンダ の立ち上げに寄与された)話は、妻から聞いていて、同じクリスチャンなので、(全く知らないお方ですが) 親しみを覚えていました。
その先生から妻に先生の本「時の種」が届き、その題に引き寄せられて、読み始めたのです。英語の先生ですから、先ずシェークスピアの作品について書かれているのですが 素晴らしいのです。
シェークスピアなどハムレットぐらいしか読んでいないのに、そんな無知な私にも分かるというか、シェークスピアが読みたくなるような記述。でも、それを読んだら先生の言うことがより分かるというものでもない。シェークスピアが読み砕かれて、そのさわりが語られるというような感じです。知性というのは、こういうものかと思わされるのです。それは、英語でいう "intimidating" (威圧的な) 知性なんです。
< 欽定訳聖書から 「伝道の書」>
シェークスピアをサッと過ぎたら、先生の知性のほんの上澄みだろうと思えるエッセイの後、聖書の「伝道の書」に入りました。
欽定訳聖書からの重厚な文章から「空の空、全ては空である」という伝道の書がひもとかれるのです。
伝道の書は、刹那主義でない、"だからこそ、その一瞬一瞬をエンジョイするのだ" という解釈が述べられるのですが、私たちの人生の終わりを「"銀の紐" (Silver cord) が解かれる」と訳されているところが引用され、伝道の書の著者は詩人だと告げるのですが、ご本人が詩人なのです。
詩心などない、否、聖書は、余計な詮索なしに読むべきという方針の私に、活を入れてくれたように思えました。
聖書は、確かに神さまの霊によってかかれたもの。ならば、霊によって読むべきものですよね。
< 「空の空」から飛び去る日 >
茅野氏は、このサブジェクト (空の空) を詩篇90篇で閉じます。
『われらの齢 (よわい) は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦と災いです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。( 詩篇 90:10 ? 訳 ) 』
そして、飛び去った先は、次のチャプター (永遠) だと書かれていました。私たち、クリスチャンは、安心して、そのチャプターを望み観ることが出来る。感謝ですね。
文責: ロバート イー


