主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

悲しみにあった人びとへ、今悲しみの中にいる方々へ

<悲しみよ>


悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう
お前が来なかったら つよくなかったなら
私は今どうなったか
悲しみよ悲しみよ お前が私を
この世にはない大きな喜びが
かわらない平安がある 主イエス様の
みもとにつれて来てくれたのだ
           (水野源三詩集より)


あれは、何年だっただろうか、もう45年ぐらい前になりますか、胡 美芳(こ びほう)さん、長岡輝子さんご一行が日本からロサンゼルスに来られました。そして、胡 美芳さんが源三さんの詩を歌い、長岡輝子さんが朗読をしてくださったのです。私は(私たちは)その時まで、水野源三さんのことを知りませんでした。


源三さんは、9歳の時赤痢にかかり、その高熱によって脳性麻痺をおこし、それ以降、外部との意思疎通は、瞬きでしかできなくなりました。その源三さんが(瞬きだけで)詩を作り、それを私たちの為に残してくれたのです。



その頃、私はその集会で買ったテープを毎晩のように聴いては、感動で胸を詰まらせていたものです。長岡さんの朗読や胡 美芳さんの賛美は、素晴らしいものでした。今だにその音声が耳に心に残っています。


私の持っている詩集「わが恵み汝にたれり」は、昭和51年6月22日第6刷発行ですが、詩集は、今も再版されているようですので、どうぞお求めください。でも、あのカセットテープは、手にはいらないと思います。もう、私の手元にもありません。もし、どなたか持っていらしたら、もう一度だけ聞かせていだきたいものです。


<喜ぶものと共に、泣くものと共に>


ローマ人の手紙12章15節に「 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」とありますが、私には、とても難しいみ言葉です。わからないという意味ではなく、実行するのが難しいのです。


自分の家族友人のことでしたら、喜びや悲しみを共にすることが出来ますが、そうでない場合は、冷淡だったり嫉妬しなくてもうらやむ心をもたげたりします。時には、(心の奥底で)“ああでなくてよかった”などと思ったりします。要は、人を(本当に)愛するということができていないのですね。


ところが、そういう私を驚かした青年がいました。N君という日本から神学校で学ぶために来た青年でした。N君の召命されたみ言葉がこの「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」と言うのでした。


その彼は、後に、病で愛妻を失い、ご子息も失います。でも、彼は、召された使命にしたがって、チャプレンとして、悩み苦しみ悲しむ人たちの傍で寄り添う仕事をしているのです。彼なら、否、彼だからこそ真心をもって悲しむ人たちを慰めることができるのだなと思うのです。


<イエス・キリストは悲しみの人だった>


イザヤ書の53章にイエスさまの十字架のことが預言されています。


「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53:3-5)


自分の愛する子をなくすという経験をしたことがない者は、決して自分の子をなくした人を慰めることができないように、人の悲しみを知る人こそ、イエスさまの悲しみを知る者だということができると思うのです。


それだからこそ、本当の悲しさを味わい、その暗黒から引きあげられた人の信仰はこの世のものではないような気がします。そうでなければ、“悲しみよ、ありがとう”とは決して言えることではないと思います。


水野源三さんの苦しい生涯そのものが私たちに神さまの恵みを伝えるものになりました。同様に、イエスさまの苦痛の生涯そのものが、私たちの“救い”となったのです。


文責: ロバート イー

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