主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

アメリカの民主主義の危機の中で私たち信仰者が揺れています

(赤は共和党、青が民主党です)


<私たちが生きている民主主義というのは何か>


民主主義とは、国民が統治者を決めたり辞めさせることができる体制です。その反対は、専制主義で、君主や独裁者などの個人、あるいは軍部などの幹部からなる小集団が、自分たちの意志によって統治する体制です。


そして、民主主義の要(かなめ)は、「選挙が公正になされている」ということです。それで、アメリカでは、選挙結果が僅差の場合は数え直すように要請することができますし、不正を申し立てることも出来ます。それは、国民に選ばれた統治者が国民の総意によるものだと確信するためです。


そして、いったん選挙結果が決まったら、全ての国民は、次の選挙があるまで、選ばれたその統治者に従わなければなりません。


<選挙結果を認めようとしない人がいる>


前大統領トランプとその支持者たちが選挙に不正があったと虚偽の情報を流し、あちこちで票の数え直しをしても不正が見つからないにも関わらず、あくまでも選挙が盗まれたと主張し、2020年1月6日に選出された大統領を国会で最終的に承認されるのを阻止しようとしたのです。


トランプが2020年1月6日の暴動(クーデター)を計画し煽動したことが明らかになり、その証拠は充分にあがっているのですが、はたして前大統領が起訴されるかどうかという(前代未聞の)歴史的な状況になっています。


トランプは、 (自分が選挙に敗北したのを知りつつも) 引き続き選挙に不正があったと言い続けていますが(今では、そうする以外にしょうがないけど)、彼の影響力はいまだに甚大で2022年の中間選挙の共和党の立候補者の多くが「Election Deniers」(選挙結果を否定する人々)なのです。


彼らは、自分が選ばれればOK、落選すれば選挙に不正があったと叫ぶのです。


<クリスチャンの日本の牧師がデマを流した>


2020年の大統領選挙の結末がひどかった。・・・アメリカのある大きな教会で、礼拝の最中に"トランプに投票するように"と呼びけた牧師もいたのです。


私が知る日本人牧師で、ひどいデマを流し続けた人がいます。極右のメディアが流すものを自分のブログに載せていただけだというのです。誤報だと指摘されても平気なんですね。こういうのは、(神さまを信じる)クリスチャンとして許せません。


どうして、トランプがクリスチャンの間でそんなに人気があるのかわかりません。どうして、福音派の教会の指導者たちがトランプを支持するようになったのかも良くわかりません。


トランプは、保守的クリスチャンのアジェンダ (堕胎の禁止、ゲイの否定、ユダヤ人の支持、社会主義の否定など)を守ると約束し、保守的教会の指導者の支持を取り付けたときいていますが、そんな簡単なものじゃないように思われます。


トランプを支持するクリスチャンは彼の反体制的発言に強い感情的共感があるのではないかと思うのです。・・・過去の一連のアメリカ政府が「アメリカの夢」を台無しにしてきたという強い不満があるようです。キリスト教国でなくなってきているという不安。移民人が先住の白人よりいい生活をしているという不満。(これは東洋人へのヘイトクライムに繋がりました。)・・・アメリカが社会主義(共産主義)的になり、反キリスト的に、反聖書的になってきているという不安をもつようになったのではないでしょうか。


デパートのショウウィンドウに“メリークリスマス”と書かれなくなり、“ハッピーホリディー”と書かれるようになり、ラジオからテレビから街中からクリスマスの讃美歌が聞こえてこなくなっているのです。これは、クリスチャンにとってとても悲しいことです。


だから、現体制をぶち壊す能力のある、"不道徳な"「ロビンフッド」か「ネズミ小僧」が必要なんだと思われたのかも知れません。


ただ、トランプは、全てを自分の利益のためにしているのです。他の人のため、国の為にではないのです。・・・それでも、トランプの方が現状維持よりはいいんですね。


私の弟は典型的な「保守的クリスチャン」で、勿論トランプ派です。彼に"トランプはクリスチャンだと思うか"と訊きましたら、「クリスチャンだとは思わないけど、クリスチャンの為になる政策をすると思う」と答えています。確かに、トランプはアメリカを昔に戻そうとしているのですから。


イエスさまは、「カイザルのものはカイザルに神さまのものは神さまに」と仰いました。・・・宗教と政治を混同してはいけないということです。が、そんなに簡単じゃないのです。私たちは、信仰と政治の葛藤の中で、この現実に対処していかなければならないのですから。


使徒パウロは、このように勧められました:『 12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。12:3 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。』(ローマ人への手紙12:2~3)


信仰者とは、自分の都合じゃなく、自分の信念じゃなく、神さまが願われていることを実行しようとする者です。それが、信仰者の生き方なのです。そういう自分自身、どのくらいそうできているかはわかりませんが。(😓)


文責: ロバート イー

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