主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

アメリカのクリスチャンは、極端になり、分裂しています



<クリスチャン同志なのに、弟とはあまり話をしません>


弟は、とても単純に此の世の価値(お金、名誉、評価)を受け入れて、その上に自分の考えを構築するというタイプで、私は此の世の価値の不合理さから自分の考えを構築してきました。で、彼から見れば、私は偏屈者で、私から見れば、彼は軽薄な者でしたし、それは今でも変わりません。


弟は、日本でキリスト教のアメリカンスクールに行っていたので、日本語は、日常会話を(少し)することはできますが、読み書きはできません。基本的に英語が母国語で英語的に物事を考えます。


そういう違いだけでなく、彼は私の嫌いな「共和党の保守的クリスチャン」なのです。だから、話が食い違います。大体、アメリカの大多数のクリスチャンは共和党ですが、彼らは、どうしてあんなに独善的なのでしょうか?


私は、半官半民の会社で働いたことがあり、公共機関の浪費ぶりや非効率さを知っています。だから、公共のサービスを増すことには、反対ですし、税金の無駄使いはやめてほしいです。税金を減らし、規制も少なくしてもっと自由にさせてほしいと私は思っています。これって共和党的ですよね。民主党的な考えではないです。


一方、金持ちがより金持ちになり、貧乏人が更に貧乏になるという資本主義の傾向はたえず修正していかなければなりません。そうでなくても周期的な不況はいつもめぐってくるのです。これは資本主義経済の基本的欠陥ですよね。自由にすれば、すべてうまくいくのではないのです。


自己防衛の権利だと言って銃をふりまわし、自分たちは、クリスチャンで、堕胎に反対だから堕胎をしているクリニックを爆破してもかまわないとか、コロナ渦で、マスクの着用が要請されても、自分はしたくないから、強制するな!という。俺の身体、俺の命は自分で守るからほっといてくれ!という。これ、共和党ですよね。私は、こういう人たちが嫌いです。


だから、私は、(基本的に)民主党でも共和党でもないのに、それでも、弟とは話ができないのです。


<めずらしく弟とテキストする時がありました>


ところが、最近、私もよく知っている、弟がアメリカンスクールで一緒だったブルースという人が筋肉萎縮症になって病んでいるという悲しいテキストを受け取ったのです。ブルースから送られてきたという昔の古い学校の新聞記事のコピーも送られてきました。ブルースは投手、弟は三塁手でした。


昔の話に花が咲き、ついには、テキストからEメールに移って、彼の救いの話も初めて読みました。父親の話になり、私が父について書いたもの(英訳したもの)を送りましたら、彼の記憶と私の記憶がすごく違うので、お互いにびっくりしました。


一番びっくりしたことは、彼が両親にあまり愛されていなかったと思っていたことでした。彼は末っ子でみんなに、特に両親に愛されていたと思っていました。それに、彼は、野球や柔道で表彰状などもらったり、テレビにも出たことがあったりして、両親は彼のことを誇りに思っていたと記憶していたのです。


ところが、彼は、長男の私が両親に愛されていて、自分は(私に万一のことがあった時の)バックアックにすぎなかったと思っていたのです。バックアップであったことは、本当ですが、愛されていなかったとはどうしても思えないのです。


<天国に行って両親に会ったら>


弟は、最後に、「天国で両親に会ったら、両親にHOMERARETAI(“ほめられたい”)」と書いてきたので、私は、“I am sure they are proud of you, John. I am proud of you too.” (父母は、間違いなく君のことを誇りに思っているよ。僕も君を誇りに思っている)と書き送りました。


私は、両親に冷たい子供でした。長男として生まれ、大切に育てられたのは事実ですが、愛されたのは弟の方だと信じています。だいたい自分は両親を喜ばせようと思ったことがあっただろうか。だから、天国に行ったら、先ず、謝りたいと思っています。そして、今では、とても感謝していると言いたいと思っています。


<天国から此の世をながめたら>


もし、天国から此の世を眺めたら、私たちは、なんとくだらないことで、いがみ合っているのだろうかと思わされるのではないかと思います。弟とブルースの話から、彼の救われた話、両親の話に至っても、私たちは政治の話はしないし、できないのです。お互いに不愉快になるだけだからです。どうしてそうなるのだろうか。それは、お互いに信条的な違いを受け入れられないからですね。


問題は、自分ように考える人は、クリスチャン。そうでない人は、クリスチャンでないか、偽クリスチャンだと決めつけることです。


でも、私たちが譲れないことは、ただ一つしかないのではないでしょうか?「神の子、イエス・キリストが私たちのために十字架につかれたこと。そして、主イエスの贖いを信じる私たちは、間違いなく天国に携えあげられていくということ」だけでしょう?


天国では、カトリックもプロテスタントもなく、共和党も民主党もインディペンデント(無所属)もないように思います。・・・このように私たちクリスチャンがいがみあっていたら、どうして「神さまの愛」を伝えていくことができるのでしょうか?・・・おたがいに譲りあっていきたいものだと思っています。主よ、助けてください。(祈り)


さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。』(第一コリント1章10節)


文責:ロバート イー

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