主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神さまのご計画とわたしの計画の関係(完)


<神さまのご計画とはなにか>


自分に対する“神さまのご計画はこうだった”と明言する人がいるけど、私は自信をもってそういうことが言えません。神さまの私に対するご計画は、私の状態によって変わってくると思われるからです。


はっきりしていることは、神さまは、私を愛し私を良き方向に導こうとしているということです。でも、どうしてそんなことがわかるのでしょうか?どうして、そうだと自信をもって言えるのでしょうか?


<だいたい「救い」とはどういうことなのでしょうか>


私は、末広栄司先生から洗礼をさずかりましたが、この先生は、あのアブラハム・リンカーン大統領が大好きで、いつだったか、リンカーンが(貧しい)少年の時の話をしてくれました。


ある日曜日、リンカーンがサンディースペシャルの一丁羅(たった一つの一番良い服)を着て教会に向かって歩いていたら、子豚が泥濘(ぬかるみ)にはまってもがいているのをみて、その泥沼に入って子豚を助けようとしたのに、子豚があばれて、泥だらけになったと言います。


末広先生はおっしゃいました。・・・リンカーン少年は子豚を助けるために泥だらけになったけど、イエスさまは、私たちを助けるためにそのいのちを捨ててくださったと話してくださったのです。


神さまは、愛する御子をこの世に送り、私たちのために十字架につけられた ― あなたは、こんなことを信じられますか? 私はこの教理が本当なのか知りたいと思ったのです。・・・そして、(もし、それが本当なら)信じたいと思ったのです。そして、その「神さまの愛」に私の残りの人生をすべて賭けたのです。


重要なことは、どうしたら見えない神さまを知り、その神さまの(具体的な)導きを信じて生きることができるかどうかですね。ある意味で、これ以外のことはどうでもいいようなことです。


神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。』(ヨハネによる福音書1:18)


つまり、(旧約聖書の預言によって)イエスと名付けられた、神の御子だけが神さまを表されたというのです。別の言い方をすると、イエスさまを知らなければ、神さまを(具体的に)知ることはできないと言うことです。


<新約聖書の主役は、イエス・キリスト(救い主)です>


福音書を読むと、イエスと名付けられた、この人がどんなにすごい人だったかわかります。この人こそイスラエルを救い、世界の王になると約束された人だと思われるお方でした。・・・水の上を歩かれたお方です。死んで葬られて4日もたっている、腐り始めている人(ラザロ)を生き返らせることさえできる人でした。それなのにご自分は十字架の刑で死んでしまったのです。・・・


そして、イエスさまは(自分で告げられたように)3日目に復活します。・・・私は、このできごとを「イエスさまが“人として”死に、“神の御子として”よみがえったのだ」と理解したのです。そして、復活して40日後に(弟子たちの見ている前で)天に昇られます。


1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。 1:9 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。』(使徒行伝1:8~9)


<聖霊を受けなさい>


イエスさまの救いを信じる(受け入れる)人は、聖霊を受けるのです。・・・逆にいうと、私たちがイエスを主と、救い主と信じることができるのは、まさに聖霊の働きなのです。・・・聖霊がすべてを教え、導いてくださるのです。聖霊が私たちに確信をあたえてくださるのです。(“聖霊”とは、神学でいう三位一体の“神”です)


私は、確信をもって信仰をもとめたのではなかったし、特別に“あの時、聖霊を受けました”ということもなかったのですが、さまざまな経験を通して、イエスと名づけられた、この神の御子は、間違いなく“救い主”だと確信するに至ったのです。それは、まさに“聖霊の働き”だったのです。


そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。』(第一コリント12:3)


どんな人の話もどんな説明も神の救いの計画をわからせてくれないのです。ただ、聖霊がくだるとき、それが明らかになるのです。だから、世界のどんな人でも、学識のある人でも無学な人でも、善人も悪人もこの神さまの救いからもれることはないのです。ただ求め、受けるだけでいいのです。


キリスト教が世界の宗教になったのは、わたしたちが“救われる”のは、すべて聖霊の働きなのです。この聖霊によって、神さまのご計画は、「全人類の救いと天の御国への招き」なのだということ知るのです。


この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。』(新共同訳 エペソ人への手紙1章14節)


文責: ロバート イー

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