主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

平和(シャロームからエイレーネ)を作り出す者は幸いです〔マタイ5章9節〕

<聖書の中に“平和”が見ますか?>


私には、聖書の中に“平和”が見えません。争いと憎しみと悲しみが溢れています。それは、登場人物が私たち、否、この私だから、だと思うのです。


昔、息子がまだ高校生の頃、息子が私に “お父さん、どうしていつもお父さんは「喧嘩腰」なの?” と言ったのを忘れません。私は、いつも息子に厳しい父親でしたし、言いつけは守らせました。でも、「喧嘩腰」と言われたのには驚きました。


たしかに、当時の私は、平和を作り出す者ではありませんでした。目的の為なら何でもするという戦闘員でした。倒されても、タダでは起きないという有能な働き人でした。


だから、私は、“平和”を語る資格のない者です。


<なのに“平和”がやってきました>



孫たちがやってきた時に、妻は「ロールケーキ」を作って見せていました。娘は料理に興味を見せませんでしたが、孫娘は興味深々です。妻と孫娘と娘が、ひとつになっているこの写真の中に“平和”が見えます。


そして、孫娘はついに手伝い始めたのです。おばあちゃんと孫のコラボレーション。なかなか良い構図じゃないですか?



<シャロームからエイレーネ>


旧約聖書のシャローム(平安・平和)は多義的な言葉で、単なる戦争の反意語ではなく、神さまの祝福を祈る言葉です。新約聖書のエイレーネ(平和・和解)は、愛なくしては(けっして)真の平和は達成されないということを告げます


もし、“平和”を争いのない状態だとするなら実につまらない概念になりますが、利害関係の確執のなかでお互いを尊重しあうことができたら、そういう努力が、「“平和”を作り出す努力」なのではないでしょうか?敵を抹消することが最善ではなく、敵と同じテーブルに座って共に食事をすることが必要なのかもしれません。


私たちの住むアメリカは、殺伐としています。銃が乱射され人々が(無意味に)殺されています。ヘイトクライムが後をたちません。海外でも、今、アメリカの大統領バイデンとロシアの大統領プーチンが会議を終えた頃でしょうか、Cold War(冷戦)が続いています。会議の内容は公表されていませんが、希望のある有意義な会議であったことを祈ります。


5:43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 5:45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。』(マタイ5:43~45)


文責: ロバート イー

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