主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神の教会とは主に召された人々のこと、その方々のうちにキリストが住まわれます

<教会とは召された人々の集まりです>


聖書によると、イエスと名づけられた神の御子が十字架につけられ、死んで3日目によみがえって。40日後に(弟子たちが見ている前で)天に昇られ、10日後に(約束の)聖霊がくだり、キリスト教会という、「救い主・イエス」を信じる群れが生まれました。


彼らは「クリスチャン = キリスト狂」と呼ばれた、不思議な雰囲気をもった人々です。・・・“神がかりした?” “う~ん、そうかも知れません”・・・なんらかの神経験をされているのです。


今日は、サンロレンゾ教会にいた「田辺勝雄さん」について思いをはせています。奥さんの田辺登喜子さんの方が有名かな、その髪型が独特(大きな団子を載せたような)なのです。


勝雄さんは寡黙で温厚な人でした。この人についてネガティブなことを聞いたことがありません。北米ホーリネス教団の修養会でご一緒させていただきましたが、存在感のある人でした。


勝雄さんの書籍の一部をいただいた時、その中に重厚な皮表紙の文語訳聖書があり、そこに本田弘慈先生が書かれています。「此の奧義は汝らの中に在すキリストにして榮光の望󠄇なり」と書かれています。・・・救い主イエスキリストを信じるとは、どういうことかということですね。本田先生の田辺さんへの思いを察する文面です。



その聖書の中に2つのしおりが入っており、英語のしおりは「十戒」で、日本語のしおりは1963年の修養会のものです。私たちがアメリカに来る5年前です。その北米ホーリネス教団の修養会は、今でも同じウエストモント大学構内 (サンタバーバラ)で持たれています。今年も持たれます。60年も前から、(コロナ期を除いて) 毎年同じところで持たれているというのは驚きです。


*** そういえば、試しに LAのホテルでしたこともありましたが、結局サンタバーバラに戻りました。***


当時は、ロサンゼルスとサンロレンズだけだったかも知れませんが、今では、ここロサンゼルスは勿論、サンフランシスコ、サンディエゴ、ラスベガス、ハワイ、アリゾナなどから集まってきているのです。アメリカに住む日系人の数は年々減ってきています。老齢化しています。でも、聖霊の働きは衰えているとは思えません。


<寒い祈祷会で、登喜子夫人から頂いた襟巻>


北カルフォルニアは、南カルフォルニアより寒いんです。そんな寒い夜の祈祷会で、登喜子さんから亡き勝雄さんの襟巻をいただきました。絹のえんじ色の襟巻ですが房がついているのです。首にまけば寒さを防ぐのですが、絹のせいか何かしっくりしません。


それで、LA教会のM愛子さんに、ストール(肩掛け)に仕立てなおしていただきました。その襟巻が立派な儀式用のストールになりました。洗礼式などに使わせていただきたいと思っています。愛子さん、ありがとうございました。



私たち夫婦は、田辺さんご夫妻だけでなく、多くの聖徒とよばれる方々から“神さまの愛”をいただいてきています。その中には気性の激しい方もいました。でも、いただいた愛はイエスさまの愛です。それは、いつまでも私の内にとどまり、イエスキリストをお迎えすることができるようにしていただいたのだと思わされています。


此(こ)の奧義(おくぎ)は汝(なんじ)らの中(なか)に在(いま)すキリストにして榮光(えいこう)の望(のぞみ)なり

         (コロサイ書1章7節、文語訳)


文責: ロバート イー

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