主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

母の悲しみ(再アップ)

<母は反面教師だった>


私にとって、母は「反面教師」でした。こうであってはいけないと教えられた人でした。でも、今から考えると、すごい人で、私の人生に最も強い影響を与えた人だと言えます。


母は、とても怖い人でした。子供たちに甘えることを許さない人でした。私たちの家は、韓国の由緒ある家で、父は国会議員。母は、梨花女子大を出た、美貌と知性をそなえた人でした。威厳があり、家の人たちは勿論、父の政治家仲間も皆、父よりも母を怖れていました。


私たちは、母が傍を通ると冷たい風がよぎるように感じたものです。


家には、多くの女中がいました。皆 貧しい家の出で、奴隷のように使われていました。彼女たちは、時々銀のスプーンなどを盗むのです。


家にある銀器は無数にあるのに、母には、それが盗まれるとすぐにわかるのでした。そして、女中部屋に直行し、盗んだ女中の風呂敷を開き、そのスプーンを見つけます。驚くべきことには、母にはだれがそれを盗んだのかわかるのです。


盗んだ女中は、大きなテーブルの上にうつ伏せに寝かされ、ムチ打たれるのですが、母は、それを腕を組んで見ているので、ムチ打つ者も容赦できなかったのです。


母の価値観は、強いものが勝つ、勝つ者が支配する。だから、どんな策略を使ってでも勝たなければならないというもので、“こういう人にはなりたくない”と思わされていました。頭がよくて先の先まで読める人でした。


<その母が本当のクリスチャンになった>


父が亡くなり、財産と名誉をうしなっていく過程で、母が本当のクリスチャンになっていきました。自分もそうでしたが、私たちは失うところから”救い“の道を見いだすようです。


いつでしたか、出張した私が当時まだ日本にいた母のところを訪ねた時、母は「こんな私でも、天国に行けるかしら」と(つぶやくように)訊きました。自分が女中にムチ打たせたことなどが思いだされて、そんな自分が天国に行けるのかと不安になったというのです。


私はそれを聞いてびっくりしました。そして、慌てて「何を言っているんだ。イエスさまの十字架は、その為じゃないのか!」と叫ぶように言ったのです。・・・たぶん、(そんなこと)母は、わかっていたのだと思いますが、振り返ってみて、自分のしたことが無性に悲しかったのだと思います。


その母も、もう22年前に主の御許に召されています。もう悩むこともないのです。そういう自分もひどく親不孝だったので、天国で父母に会うのを楽しみにしています。感謝しています。


わたしは、あなたがたに平安を残します。・・・ あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』(ヨハネの福音書14章27節)


ロバート・イー


04/19/2017▶︎ 主とわたし・・
Posted by SANBI.us

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