主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

人生は生きながえるゲーム、ダマーハムリンのための祈り

(ダマーハムリンのために祈っている選手たち。TIMEの写真を転用しました。)


<アメフトは、多分スポーツ競技の中で最もはげしいものでしょう>


先週のMonday Night Football (1月2日) の Buffalo Bills とCincinnati Bengals の試合で、Damar Hamlin(ダマーハムリン)はタックルした後、立ちあがってすぐに、気を失って倒れてしまいました。


アメフト (American Football) は、おそらく最も激しい (危険な) スポーツだと思います。なのに、このスポーツが大好きな人たちは多く (自分も 😖)、アメリカでは、最も大きなスポーツ産業になっています。‬


<九死に一生を得たダマーハムリン>


ダマーハムリンは、立ちあがってすぐに 心臓が止ったのです。(フットボールでは、このようなことで練習中に死ぬ子どもたちがいるのです。)


この深刻な事態に、選手たちはひざまずき輪になって、神さまに祈りました。


サイドラインにいた医療部隊がかけつけCPR(心肺停止の蘇生救急)をし、電気ショックをして心臓を動かしました。


それで、2分以内にダマーの心臓は蘇生したのです。これが生か死かの境目でした。でも、脳の機能が正常に維持されているかは未知でした。


ダマーは、病院に緊急搬送され、人口呼吸器をつけられ、薬によって鎮静状態にされました。心臓の負担を少なくし、損傷からの治癒を助けるためです。


2日後、彼は目を覚まし、医者は彼にどういう状況になっているのか説明しながら、彼の反応を見ていました。


人口呼吸器がついているので、彼は話ができません。なのに、何か言いたそうでしたので、紙とペンを差し出すと、彼は「Who won the game? (どっちが勝ったの?)」と書いたのです。


医者は(笑みを浮かべて)「Tomorrow, you win the game of life (明日になれば、あなたは生きながらえるゲームに勝ちます)」と答えたそうです。


<この世のゲームはいずれ終わります>


私たちがこの世を去るとき、新たなゲームが待っていると聖書は告げます。でも、その死後の世界があることを信じることがなかなか難しいのです。


ダマーハムリンのため選手たちは、観衆たちも神さまに祈りました。ダマーが助かるように祈りました。そして彼の心臓は蘇生しました。でも、蘇生しなかったかも知れません。人の命は神さまが支配しているのです。


ダマーのこの負傷は明らかに深刻なものです。だから、(そのことを知っている人たちは)もし助からなくても無事天国に行けるようにと祈られたはずです。


イエスさまは、次のゲームがあることを確信させるために、死んで葬られて4日もたっているラザロを生き返らせました。私たちに“死んでも生きる”ということを見せてくださったのです。


そして、イエスさまご自身、死んで3日目によみがえり、あちこちに現れて後、40日後に弟子たちの見ている前で天に昇られました。だから、弟子たちにとっては”死後の世界”は当たり前のことです。が、・・・私たちは、この目でそれを見ていません。その声を聴いていないのです。


神さまは、私たちが神さまを“信頼する”ことを願われておられます。見て“そうだと思う”のは単なる事実確認です。見ないで信じるからこそ“信仰”なのです。誰かを信用するというのは証明することを要求しないのです。


11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」』(ヨハネによる福音書 11:25‭-‬26)‬‬‬


私たちは、見ないでも信じることができるのです。私は信じている方々の背中を見てそう信じさせていただきました。信じるということは生き様ですね。


文責:  ロバート イー

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