主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

人は、何とかして一日でも長く生きようとしているのに、死を選ぶ人がいるのです


旅人たちの街 -岩渕まこと [Tabibitotachino Machi - Makoto Iwabuchi]|Cover by Ruah Worship


<生か死かそれが問題なのでしょうか>


永六輔という方がいました。彼がもっていた「子供相談室」というラジオ番組で、ある子供から、「どうせ死ぬのに、どうして生きてるの?」という質問を受けて、絶句したそうです。


でも、“生きる”というのは「本能」で神さまの“命令”なんです。哲学的な主題ではないように思いますが、自分も若い時に、“なんで生きなければならないのだろうか”と考えました。“しょうがないから生きる”みたいにふてぶてしい思いをした記憶があります。


<生きるから生かされているに変わる>


しょうがないから生きるのではなく、積極的に生きる、生きたいと思うようになってほしいと思います。なぜなら、人には誰にも“存在価値”があるんです。神さまがあなたを創られたのですから。


でも、それがわからずに、すべてに失望して自分の命を絶つひとがいるのです。


<二つのメモリアル・サービスがありました>


先週の土曜日に、私がブログに書いたM牧師婦人のメモリアル・サービスがありました。そして、その日は、NYにいる息子の友達のメモリアル・サービスがあったのです。私たちもその友人に数回会っているというのですが、記憶がありません。


彼の高校時代からの音楽バンドの友達だったそうですからタレントがある人だったに違いないのですが、その彼が自殺したのです。息子が彼と一週間前に話した時には、彼の状況がよくなっていたという印象だったそうです。だから、ショックで、どうして自殺したのかわからないということです。


<上村功子さんの人生に学ぶ>


功子さんは、両親を知りません。生まれて間もない彼女は、1935年(昭和10年)仙台市近郊の小牛田(こごた)駅のベンチに置き去りにされたのです。彼女の人生を杉村宰牧師が淡々と描いているのですが、すごい人生です。


KC上村さん(後に牧師)に結婚を申し込まれた時、功子さんは、「私は何もない人間です。家族もないし、兄弟も親戚もいません。それに栄養失調だったので体が弱くて小さいし、お金も財産もないし、私は本当に何もないんです。ですから、こんな私をお嫁さんにもらったら、苦労されると思います。」と言ったそうです。


私たちは、上村さんご夫妻がサンノゼに移られてからロサンゼルスホーリネス教会に行くようになったので、それほど親しいお付き合いをすることはありませんでしたが、素敵なカップルでした。


何もない功子さん(先生)、死のうと思った時は一度だけ、イエスさまの救いを受けたら生きる力が湧いてきたそうです。


『6:7 わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。』(テモテへの手紙6章7節)・・・だから、億万長者になっても何も持っていくことはできないのです。


そして、天の御国については、『7:16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。 7:17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。』(黙示録 7章16~17節)と記されています。


だから、生きましょうよ、最後まで。神さまが召されるその時まで。・・・とにかく生きてきたというだけで及第点がもらえそうです。・・・いや、もう一つ、“神さまの愛を知ること”があります。


神様の愛、それが私たちの人生に意味をもたらすものです。神さまの愛を知り、イエスさまの救いを受けたら人生がかわります。


文責: ロバート イー

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