主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神さまのご計画とわたしの計画の関係(その2)


<神さまのご計画とはなにか>


神さまは、私たちを“自由意志”をもつ者として創られました。生まれた自分の子を見ていると、それぞれ自分の意志を主張するのがよくわかります。それは事前に(本能的に)教えられたものもあるけど、みんなそれぞれ個性があるんですね。


そして、私たちは、みな自分の計画または目的をもって日々生きているんです。・・・では、どこに神さまのご計画というのがあるのでしょうか?


<聖書が示す神さまのご計画はみえないけどある>


127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。 127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。』(詩編127:1~2)


このみ言葉は、理解するのに苦労した言葉のひとつです。家を建てるのは “主=神さま” であって、建てる “私” は助手にすぎないというのです。町を守るのも“主”であって、“私たち”はのこのこついて行っているのです。その後の『主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。』という口語訳は私の大好きな言葉なのです。新改訳3版でも『眠っている間に、このように備えてくださる。』と訳されていますが、原文の文字には“眠っている間に”という言葉(前置詞)がないのです。・・・それで、その後に出た日本語訳聖書には、単に「愛する者に眠りを与える」となっているのです。多分、どうしてそう訳すのかと追求されるのを嫌ったのだと思いますが、ヘブル語学者の間でも議論されている箇所です。

これが原文ですが、文字列は「眠り 愛する者に 与える それだから」となっています(右から左に読む)


私は、“どうして「眠っている時に(間に)」というように訳せるのか(読めるのか)を知りたくて、ヘブル語を使うユダヤ教のラビ(教師)に訊きに行ったことがあります。が、そのラビによると、そのように読めるだけだというのです。(論理的な説明なしで)そう読めるというのです。・・・後でわかったことは、ヘブル語は、ギリシャ語と違って、分析的に読むのではなく包括的に読むということです。例えば1節、2節、3節ではなくて、1~3節をまとめて読むんですね。そして、ここのテーマは、主なる神が“主役”で、この方のなされることが書かれているということです。


主が家を建て、町を守り、人に眠りを与えるのだけど、人が安心して休めるのは、(見えない)神さまが明日の用意をしてくださっているからだということが述べられているというのだろうと推察したのです。そのように文字で(きちんと)表現されていないけどそういう意味で書かれている。意訳じゃなく、直訳でそう読むんですね。・・・そう、わたしは結論したのです。そうでなければ、人は(安心して)眠ることができないからです。


(見えない神さまを認識しない人生は)「早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べるようなものである」・・・それだから「主は愛する私に(安心して)休めるようにしてくださっている」 というのです。・・・“愛する私”にですよ・・・(なにか中途半端なんだけど)余韻の残る詩なのです。


*** ***


サンホゼでシステム・エンジニアとして働いていた時、どうしてもうまくいかない時がありました。なんだかんだで朝の3時すぎに、会社が用意してくれているアパートに帰って、シャワーをして休もうと思っても頭が冴えていて眠れないでいたのですが、何かを思いだして、また会社にもどったら守衛さんがびっくりしていました。


そして、コンピューターをオンにしてプログラムを走らせ、エラーになることを予想していたのに、エラーにならずに正常に動いているのです。“直った!?”


どうして、エラーになるのかわからずにいろいろ試行錯誤していたのに、アパートにもどってシャワーをしてベットに入って寝付かれずに会社にもどったら、コンピューターが直っていたのです。神さまに“なんとかしてください”と祈っていなかった。否、祈っていたのかも知りませんが、(覚えていることは)ただただ“わからない”とあせっていたのです。・・・面白いことに、その後に、アパートにもどったのか、どうしたのかさっぱり覚えていないのですが、“ありがたかった”のです。


あなたの人生でもそういうことがあるかも知れません。


「主に信頼する」ことができなければ、家も建たないし、町も守れないし、眠ることもできないのです。家が建ちあがった時、町を守りえた時、“主がなしてくださった”ということを知るのです。そして、私たちは、主に感謝して眠りにつくことができるのです。


あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』(詩編37:5)


文責: ロバート イー

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