主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神さまのご計画とわたしの計画の関係(その1)

<神さまのご計画とはなにか>


人は神さまの存在を知っていると(私は)思うようになりました。私たち人間は誰でも潜在的に“神さま”を知っているようです。・・・日本的な感覚では(モンスーン地帯に特有の)“自然”が神さまになりますが、それは私たちの潜在的な神概念があるからだと思うのです。


誰でしたか、無神論者に「あなたは、神さまなんていないというけど、いないというその神さまはどんな神さまですか?」と尋ねたという話があります。どういう訳か、私たちには神さまという概念を持っているようです。


でも、その神さまが“意志”をもって、わたしたちの人生に関わりあうばかりか、私たちの人生を計画されるというのが聖書の主張なのです。


人は神さまが創られた。“わたし”は神さまによって創られたのだと聖書は言います。・・・なぜですか?この世で苦しむためですか?・・・神さまのご計画は「私たちを苦しめるためではない」(エレミヤ29:11)と聖書は告げていますが、本当なのでしょうか?苦しんで亡くなっている人たちがいるではないですか?


<神さまのご計画にゆだねるとはどういうこと>


ある時、若くして亡くなった少年とその父親の話を読みました。その記事をさがせなくて、正確に記すことができないのですが、アフガニスタンの戦争から帰ってきて精神的にまいっていた父親を支えていたのは7~8才の息子でした。その息子は運動に長けていて、将来すばらしい選手になるだろうと期待していたのですが、急に身体がきかなくなり、検査をしたら、特殊な癌を患っているということが判明したのです。


その息子と父親は、この癌を克服しようと約束し、がんばってきたのですが、ある晩、その息子が “お父さん、僕、もうやめたいんだ”と告げたのです。もう戦うのをやめたいと言ったのです。しばらくの沈黙の後、父親は “そうだね。もう十分がんばったんだからね”と答えたのです。


自分もそんな父親だったから、この父親がどんな思いをしたか、・・・おずおずと“やめたい”といった息子の気持ちもわかります。・・・でも、このふたりは、神さまのご計画に負けたのでしょうか?


旧約聖書にヨブ記という記事があります。サタンのために大変な災害を受け、すべてをうしない。耐えられないほどの肉体的苦痛のなかで、ヨブは神さまにさけび求めるという記事です。


見えない神さまのご計画のなかで苦しみもだえるのです。おそらくヨブほど苦しんだ人はいないだろうと思われます。・・・そして、ついに神さまは嵐のなかからヨブに、“腰に帯をして男らしく立ち上がれ”と語るのです。


癌で愛する息子を失ったこの父親は、戦争の後遺症から自由になって、この癌の克服のために努力されているそうです。・・・どうして彼の息子が亡くならなければならないのかわかりません。・・・残された父親は、このすべての出来事を神さまにゆだねて今日生きているのです。


神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。』(ローマ人への手紙8:28)


文責: ロバート イー

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