主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

ふるさとは何処ですかとあなたは訊いた


<テレサテンの「ふるさとはどこですか」が流れてきた>


あれは、たしかサンホゼで働いていた時のことだったと思います。私は、独立して、月曜日の朝にLAのオレンジ郡の空港からサンノゼ空港に飛び(約一時間)、金曜日の夕方には、オレンジ郡にもどるということをしていたのです。


あの頃、お昼になると日本からアメリカに出向された人たちと一緒に日本のレストランに行ったのですが、どこのレストランでもテレサテンの歌が流れているという時がありました。多分、日本で流行っていたのでしょう。(その前は琴の音が流れていましたね。)


正直、こういう歌はあまり好きじゃなかったのですが、「ふるさとはどこですか」という曲が流れた時、“あれっ、これは違うな?”と思いました。何が違うのかわかりませんでしたが、ちょっと違う。もう一度聴きたいと思ったのですが、なかなかその曲に再会できませんでした。当時は、インターネットですぐ探して聴くという時代ではありませんでした。


この歌は、あわい恋心を歌ったものです。そして、かの人は、彼のふるさとにひとり帰ってしまったという歌でした。


<あなたのふるさとはどこですか>


人は誰でも“ふるさと”があります。“ふるさと”とは、生まれ育ったところのことですが、中には、生まれてすぐどこかに行かなければならなかったとか、転々としてどこが“ふるさと”なのかわからないという人たちもいるでしょう。それでも“ふるさと”という想いはどこかにあるように思います。


数十年前、韓国を訪ねた時があって、その時、母に前に住んでいた家はどのあたりにあるのかと訊いたら、戦後の区画整理でもうわからなくなったと言われました。それでも、私の心のなかの淡い“ふるさと”のイメージは消えてなくならなかったのです。


室生犀星という詩人が「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの、よしや、うらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや」と詠いましたが、“帰るところにあるまじや”というのは“帰るところではないだろう”という意味だそうです。


昔、ブラジルの日系教会で、誰かが“ふるさと”の歌を歌ったら、皆さんが号泣されたという話を聞いたことがあります。日本からブラジルに移民してみなさんご苦労なされた。その心には“日本”という“ふるさと”があったのですね。これから帰ることもないし、もう帰れないという想いなんですね。


聖書の「へブル人への手紙」という書の中に、神さまは「天のふるさと」を用意してくださっていると書かれています。区画整理で自分の住んでいたところがわからなくなった人たちでも、親戚がみな離散して帰るところがない人たちでも、天において、あの懐かしい“ふるさと”が両手を広げて迎えてくれるというのです。


私たちは、(生まれた)“ふるさと”から出て(神さまが用意してくださっている)“天のふるさと”に向かって歩いている「旅人」だと聖書はいうのです。そういう目的地がはっきしている人たちは幸せです。しっかりと前方の「天のふるさと」をめざして歩んでいけばいいのですから。


11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。』(へブル人への手紙11:13~16)


文責: ロバート イー

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