主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

私は全然お酒が飲めません。可哀そうでしょう。でも、多分これは神さまからの恵みなんだと思います。

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<お酒ののめない家系に生まれて>


父も母もお酒が飲めません。代々お酒が飲めない体質なんだそうです。お酒が身体に入ると心臓が速くなって死にそうになります。政治家の父はお酒が飲めなくて大変苦労しました。


これは本当の話ですが、韓国に出向したお酒の飲めない人が仕事をするのにどうしてもお酒を飲まなければならないので、訓練に訓練を重ねて、酒豪になり、飲み比べで現地の酒豪を負かすほどになったそうです。でも、そのためか、彼は数年後日本に帰国してまもなく病気で亡くなったとのことです。


<私も訓練したのです>


あれは、高校の時だったと思いますが、父が「お酒が飲めないとこれから困るから」とジョニーウォーカーの(黒)を持ってきました。これで、“訓練しなさい”というのでした。自分はいまだに飲めないけど、息子には少しでも飲めるようになってほしいと思ったのでしょう。


それで、毎晩、ウイスキーグラスに少しついで、それを飲んでそのまま寝たのです。ウイスキーを飲む(訓練の)時は、いつもトイレに行き(用意万端で)訓練に入るのです。ウイスキーが身体に入ると胸がガーッと熱くなり心臓が速くなるのを我慢して寝ないといけないのです。


しばらく訓練をつづけていたある晩のこと、トイレに行くのを忘れて、ウイスキーを飲んでしばらくしてから、尿意をもよおしたので、二階の部屋からトントントンと階段を下りて、トイレのドアを開けたとたん、胸が苦しくなって、上からしたに黒い幕がおりてきたのです。私は、トイレの柱に手をかけたままその幕があくまでじっと耐えていたのです。


お酒でひどい目にあったのは、その外にも2,3度ありますが、その訓練のおかげか、ビールは一口だけ飲めるし、ワインを飲んでも湿疹はでなくなりました。ですが、飲めるというには程遠い状態なのです。


<私は、お酒が好きです、酒飲みも大好き>


道端で、酒に酔って寝転んでいるような人は、好きじゃないのですが、いわゆる酒豪という人たちが好きです。自分ができないことをしているからでしょうか。


サンフランシスコの同窓会に私の尊敬する先輩がいるのですが、この方は夫婦そろってお酒飲み、毎日時間を決めていろんなお酒(マティニーなどしゃれたもの)をのみます。このご夫妻はどんなに飲んでもくずれることがないのです。一緒に同窓会行事で出かけたことがあるのですが、車の運転もなんの問題もないのです。すごいんです。立て続けに強いお酒をのみ、帰りがけにビールです。運転するから最後は軽いのをと言ってビールです。まったく敬服する以外にないのです。(まあ、そんな状態での運転は控えた方がいいかと思いますが、)


お酒を飲んで、愉快になる人、ひとり黙々と飲んでいる人、私はみなさんがうらやましくてしょうがありません。でも、わかっているんです。もし、私が飲めたら、多分“とことん”飲んしまって、人生を台無しにしたことでしょう。


一緒に働いていた人で、いわゆるアルコール依存症の方がいました。彼女はアルコールのにおいを嗅ぐとどうしても飲まないと気が済まなくなるのだそうです。いっぱいのむと人瓶あけてしまう。気がつくとブラックアウト(記憶がなくなる)している。自分は病人だと言っていました。だから絶対にアルコールに近づかないのだと。


私もそういう性分なんです。好きなものは徹底的にやるのです。だから、神さまは、そういう私を守ってくださったのだと思うのです。


<落語 芝浜>


落語には、お酒にちなんだ噺がたくさんあります。お酒は飲めれば楽しいものでしょうが、麻薬に近いものです。これにはまると抜けられない。


落語の「芝浜」は、ご存じのように人情噺で、夫婦の話です。行商をしている魚屋の勝は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりうだつが上がりません。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かいますが、時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管(きせる)を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つけます。拾って開けると、中には目をむくような大金が入っています。


有頂天になって自宅に飛んで帰り、もうしばらくは働かなくて済むとさっそく飲み仲間を集めて大酒を呑み、酔いつぶれてしまいます。困った女房が大家に相談すると、「財布を拾ったというのは夢だと嘘をついたらいい」と言われて、寝起きの勝に嘘をつきます。財布を拾ったなどというのは夢にちがいないと言い聞かせます。勝は「そんな夢をみるようになったのでは大変だ」と言い、“もうお酒をやめる”といって仕事をし始めます。


3年たって、女房が(かの財布を出し)両手をついて「あれは夢ではありませんでした」と告白するのです。“すみませんでした。殴るなり蹴るなり気のすむようにしてください”と泣きながらあやまる女房に、勝さんは感謝するという話です。


女房は、勝さんに「もう大丈夫だから、機嫌なおしにいっぱいめしあがれ」とお酒をすすめると、勝は、“お久しぶりです”とお酒に挨拶しながら、おちょこを口にもっていこうとして・・・「やめとこう。また、夢になったらいけないから」という落ちでこの噺はおわります。


お酒で失敗した人はたくさんいます。久しぶりに聞いたこの噺に私の涙腺が緩んできました。・・・“長年連れ添った女房に嘘をつかれるのは辛いでしょうが、嘘をつく方も辛いんです”というくだり・・・「夢」だったと思わせるところがうまいと、最後の「落ち」にうまくつながるんですね。


お酒が飲めて、お酒におぼれないみなさまに乾杯!みなさんは神さまに祝福されています。くれぐれもご自愛ください。


文責: ロバート イー

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