主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

“かもめはかもめ”、それでも、私たちはあきらめません。


研ナオコ かもめはかもめ (1978) 3


<この「かもめはかもめ」っていう歌、はじめて聴きました>


私は、礼拝のメッセージで時々この世の流行歌を使うことがあるのですが、使う歌がいつも古すぎると文句を言われています。もっと新しい歌を使いなさいと言われるのですが、私がアメリカにきた頃は日本語の放送などありませんでしたので、当時の歌を知りません。数十年のブランクがあり、最近の若者の歌にはついていけないという事情があるのです。


先日YouTubeで、この「かもめはかもめ」って歌を初めて聴いたのですが、これなら、メッセージに使えるかなと思ったのです。こんな歌があったのですね、日本人の感覚にぴったりの歌じゃないですか。
                               
この歌は、“あきらめました、あなたのことは”というセリフからはじまります。失恋のうたです。“あきらめ”のうたですね。あきらめましたといいながら(実は)あきらめきれないという歌です。


<クリスチャンになると人生の見方がかわります>


クリスチャンになる=神さまを信じ、神さまに従って生きたいと宣言すると、あきらめる人生からあきらめない人生にかわるのです。


私は、クリスチャンになってもうすぐ(来年で)50年になるのですが、振り返るとそれまでの人生は白黒で、それからを境にカラーになっているのです。その頃は気がつきませんでしたが、次第に自分の人生に自信が持てるようになってきたのです。


それまでは、キッパリあきらめたいと思うことばかりでした。失敗したこと、出来なかったこと、かなえられなかった事などなど、みんなスッパリわすれられればいいと思うことばかり。でも、今は(身体はガタガタなのですが)希望にみちています。主にある希望です


“かもめはかもめ”、自分の分を知って生きて死ぬ、それで十分じゃないかと思う方もいらっしゃるでしょうね。・・・でも、それで十分じゃないのです。目いっぱい、否、それ以上にやれるんです。そういう気概で生きようと思えるようになるのです。


5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。』(ロマ書5章3,4節)


文責: ロバート イー

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