主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

500マイルも離れてしまったけど、こんな姿じゃ家にも帰られない

<500マイルという歌を知っていますか>


私が初めて聴いた「500マイル」は、Peter, Paul and Marryが歌ったものですが、最初に聴いた時は、“どうってことのない歌だな~”と思ったのでした。たぶん、英語が十分でなかったからだったかも知れません。ここに日本語訳のついたのがありましたので、聴いてみてください。意味を考えながら・・・。



500 Miles - Lyrics - 500 マイル - 日本語訳詞 - Japanese translation - Inside Llewyn Davis


この歌の歌詞のなかに、Lord ・・・(主よ)という言葉が出てきますよね。この Lord ・・・(主よ)とは「神さま」のことですから、神さまにつぶやいているんですね。


Lord, I'm one (hundred mile), Lord, I'm two (hundred miles), Lord, I'm three (hundred miles),
Lord, I'm four (hundred miles), Lord, I'm five hundred miles away from home


Away from home, away from home, away from home, away from home
Lord, I'm five hundred miles away from home


Not a shirt on my back, Not a penny to my name


Lord, I can't go back home this ole way, this ole way, this ole way, this ole way, this ole way
Lord, I can't go back home this this ole way,


主よ(神さま)・・・もう500マイルも離れてしまったけど、こんな姿じゃ家にも帰られません、と歌っています。寂しいというか侘(わび)しい歌ですが、あの頃は、こういう歌が流行ったように思います。


<ヒッピーの時代の虚無感>


私たちがアメリカに来た頃は、ヒッピーの時代でした。ヒッピーはアメリカの中産階級の価値観に反発して家を飛び出した若者のグループでした。この歌のように家から飛び出たけど行先はわからない。


気がついたら無一文、食べ物もない寝るところもない。いっそのこと、“家”に帰ろうかなと思うんだけれど、こんな姿じゃ帰ることもできない。・・・


でも、もし、帰ったら、喜んで迎えられるのは勿論です。そして、“ようやく正気にかえったか”と言われるにきまっています。でも、・・・“とんでもない、正気だったたら、戻ってなんかきやしないよ”と心でつぶやくのです。


<行く先がわからなくなったら>


誰だって、どこに行こうか、どうしたらいいのかと思い悩むことがあります。その時は、やっぱり原点に戻ることしかないんじゃないでしょうか。その原点とは、ふるさとでもなければ、実家でもない。つい “主よ”とつぶやいてしまった、その「主」のところに帰ることなのですね。


私も現役時代、行き詰まった時には、いつも「主よ・・」とつぶやいていたものです。・・・


121:1 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 121:2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 121:3 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。』(詩編121章1~3節)


主は、あなたのつぶやきを聴いていてくださっています。そうです。そう信じることができる人は幸いです。足もとを見ずに、主なる神を見上げてみてください。主こそ、あなたを守り導かれるお方です。


文責: ロバート イー

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