主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

皆さん、ウクライナの自由のために祈ってください。本当に祈ってください。

(Time 3.14-3.21-22からの転用)


<突然ブログが書けなくなったのです>


しばらく私はブログを書きませんでした。実は書けなくなったのです。私の心には自分の戦争体験(朝鮮戦争)というか、戦争に由来した多くのエピソードが渦巻いてきて、その全部がウクライナの方々の思いを汲むものではないのですが、突然“怒り”が沸いてくるのです。


それは、これがUnprovoked War(挑発しなかった戦争)だからです。ひとつ殴られたから2つかえすと言うものではないからです。ロシア(プーチン大統領)は、ウクライナとの国境線に膨大なロシア軍を集結させて、ウクライナに圧力をかけてきました。でも、ウクライナは、その圧力に負ける気配はありませんでした。ウクラウナは主権国家です。


それじゃ、ひとつ叩いて悲鳴をあげさせて、降伏させようというわけで、(プーチンは)ロシアの戦車をウクライナに突入させたのです。(プーチンの頭には、2週間ぐらいで、降伏させる自信があったと言われています。)


ウクライナの国境にロシア軍が集結した時、欧州もアメリカもプーチンの bluffing(はったり)だと思っていたように思います。ところがアメリカの大統領が、ロシアが侵入してくると公に言い出した。まさか、この21世紀に突然侵略してくるとは思えなかった。少なくとも私には考えられませんでした。でも、プーチンは、2014年にクレミアをその手で属国にしたのです。今までのプーチンの成功は、武力制覇によるものだそうです。


ロシアの軍隊は、ウクライナになだれ込み、由緒ある建物が爆破され、瓦礫の下で人々は死んでいったのです。と同時に、多くの人々が戦禍を逃れて隣国に避難しました。


<朝鮮戦争も侵略戦争でした>


何の予告もなく北朝鮮軍が38度線を越えてなだれ込んできたあの日、外で遊んでいた私は、空で飛行機が2機くるくると回りながらパチパチという音を鳴らしているのを見あげていました。なんだろうと思っていたら、女中さんが飛んできて、すぐ家に入りなさいと言われたのです。私が7歳の時でした。


私たちは、ソウルに住んでいましたが、当時、国会事務総長だった父からの連絡で、戦争が始まったということをいち早く知り、避難したのです。私たち家族は、数時間後には車で最小限のものをもって橋を渡り、南下しました。そして、その橋はまもなく韓国政府によって爆破されたので、多くの人々は、避難することさえできなくなったのです。


その後、李承晩大統領は、当時大戦後まだ國交がなかった日本に父を派遣したので、私たち家族は日本に行きました。万一の時に韓国政府を日本に移す計画だったと聞いています。


日本人は(羽振りのよかった)私たちを嫌い、近くの公立小学校に編入した私は徹底的にいじめられたのです。毎日待ち伏せされて暴力を振るわれました。学校でも授業中以外は、戦場でした。だから、朝鮮戦争は、私にとっては日本戦争になったのです。


私は、毎日、命をかけて戦っていたのです。大げさなようですが、私の心の中ではそうでしたし、頭も数針縫いました。日本人は弱いものいじめが得意な民族です。それは、朝鮮、中国、東南アジアで証明済みです。あえて、具体的な事例は省きますが、日本がわすれても被害国は忘れません。(唯一の例外は台湾かな、台湾は親日です。ここでは残酷なことがなされなかったのですね。)


私は、たまたま異国民だったのでイジメの標的になったのですが、日本の学校では、今でも相変わらず(日本人同士の)イジメがあると聞いています。キリスト教主義の学校でもあったと聞いてびっくりしているのです。イジメで自殺する子どもたちがいます。でも、それは氷山の一角なんですね。これを読んでいるあなたもそれを経験したかもしれません。



戦後の日本は総ざんげの時代でした。丸山眞男ら多くの学者が“日本の思想”について書き、当時の知識人は日本人の意識を変えなければならない。そうしなければまた同じことが起こると危惧したのです。でも、その警告に耳を傾けた人たちがどのくらいいたことでしょうか。


戦争のことを教科書に載せた家永三郎(歴史家)の教科書が政府の検定で不可となり、政府の「教科書検定制度」は憲法違反であると訴えました。教育は教育者に任せるべきだと。これを「家永裁判」(ウキペディ参照)といいます。その裁判の経過を見ればわかるのですが、「どんなに繕ってでも日本の恥はみせないが良い」という民族思想が根底にあるのです。それを日本教と呼ぶらしいです。


<戦争って人殺しです> 


戦争って、敵(人)を殺すための努力です。出来るだけ多く敵を殺し、相手(敵)が降伏すれば勝つのです。勿論、その反対は負けです。戦争とは、集団でするケンカです。


(Debris is seen after a theater was damaged by shelling in Mariupol, Ukraine on March 17. (Azov Battalion/AP))


人類の歴史は、戦争の歴史です。強いものが勝ち、勝ったものが支配し分捕るのです。負けたものは、その民族の名前さえも歴史から消えてなくなるのです。


<聖書の中の戦争は>


聖書の中の戦争は「神さまの粛清」という形で書かれています。偶像を拝む民が裁かれていくのです。ヨシュア記からダビデ王の時代まで戦争々々です。血なまぐさい話がつづくのです。ソロモンの時代には少し落ち着いたのですが、再び戦争の連続となり、イスラエルの民は敗れて捕囚の憂き目にあい、最終的に世界に散らされていきます。そして、(聖書に預言されたように)1948年、ふたたびイスラエルの国は再建されたのです。


このような歴史の中で、苦しみと悲しみにあえぐ私たち人類の真っただ中に主イエスは生まれました。そして、「愛」(アガペー)という何の役にもたちそうもない“教え”を残して、十字架の刑を受けて死んだのです。そして、3日後にその墓の中からよみがえられた。「死」が終わりではないということを示されて、昇天されました。


古山隆(牧師)は、ベトナム戦争のために徴兵され、ベトナム戦争で砲火を浴びたのですが、先生はクリスチャンとして、人を殺すことについて悩んだと言います。殺さなければ殺されるのですが、殺すべきか殺されるべきかと悩んだのでした。まじめな方です。


今この時、ウクライナの人たちが、否、ロシアの兵士たちも殺されているのです。ロシアの兵士たちの中には、いやいや戦争させられている人たちもいると聞いています。もし、あなたが私がそういう立場だったら、どうだったろうかと同情してしまいます。


<ウクライナの為、夜の8時に祈っています>


プーチンは、力でウクライナの人々をねじ伏せようとしているわけですが、そして、それがロシアにとって益だと思っているわけですが、そういうやり方を主が許さないようにと私は祈っています。プーチンが失脚するように祈っています。西側への不満や憎しみをもつロシアの人々によってプーチンの支持率があがっているとのことですが、ロシアの人々になんとか真実が伝わるようにと祈っています。


ウクライナの人たちがロシアに住む親戚に連絡しても、まったく聞く耳をもたないと言います。国家的プロパガンダ(フェイクニュース)というのは、本当におそろしいものです。


もうすぐ終末がくるのではないかと思われる今日この頃ですが、神さまが このような愚かな私たちを憐れんでくださるように、祈ってやみません。


文責: ロバート イー

×

非ログインユーザーとして返信する