主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神よ、主よ、なぜですか、どうしてこんなことが起こるのですか?

<15歳の歌手がVoilaという歌を謳ったのを聴きました>



Emma Kok - Voilà – André Rieu, Maastricht 2023


私は、彼女のこの歌を何度も聴きましたが、毎回、涙にくれるのです。フランス語の歌です。歌の内容は全然分かりません。分かる単語は ‟Voila” ヴォワラ(見て、これです)だけです。それなのに涙が自然にあふれてくるのです。


彼女の名前は、Emma Kok。そのか細い身体で、力強くクリアーな美しい声で歌います。彼女は、お腹が麻痺するという稀な病気で、食物はチューブでお腹に直接入れているのだそうです。この病気のため財団がつくられ、原因究明と治療方法を探っているということです。


彼女は、普通の生活をしたい、そして、将来、歌手になりたいと思っているのです。この歌に込められた感情は、彼女の病気に対する気持ちからくるのかも知れません。


<この Viola は、いわゆるシャンソンだと思いました>


シャンソンには、人生の悲哀を唄ったものがおおく、Violaもこの種の歌ではないかと思います。でも、この歌が私に訴えるのは、言葉(歌詞)ではなく、その響き(音律)からくるもののように思わされています。言葉は分からないのですから・・・。


私のブログの読者に、音が聞えない(補聴器の音量をあげると音は聞こえるけど、言葉にはならない)友人がいます。それで、こういうブログは出しにくいのですが、彼女はクリスチャンですから、私の無礼を許してくれると思っています。


<神さまに訴えるのは罪ではないと思うのです>


Emma の歌を聴きながら泣いている人は、‟かわいそうだ”と思ったからではないのです。Emma の歌声には「15歳で自分の人生と闘っている姿」があるのです。私は、Emma が “心配しないで、私は負けないから” と語っているように聴きました。


私には人生の問題をかかえた多くの友人がいます。若くして不治の病に侵されておられる方、障害をもったお子さんのケアをしている方々など、‟どうして、こんなことを神さまは許されているのだろうか?!”と思うのです。そういう方々のためにお祈りしますが、時には言葉になりません。


時には、「主よどうしてですか、主よ・・・主よ、助けてください」と叫ぶ以外にないのです。


<神さまを弁護するクリスチャンが多い>


自分も“愛の神さま”を信じるものです。その神さまが理解できない不幸を人々に与えられる。・・・でも、「不幸」は悪魔の頭、サタンの所為で、神さまは良いお方、「幸せ」を与えられるお方だと言います。


私もサタンの存在を知っています。悪霊が働くというのも経験しています。それより、私たち、信仰者の問題は、神さまの姿がどこにも見えない時があることなのです。


だから、私たち、信仰者は、神さまを弁護することではなく、たとえどんなことがあっても信じぬくという「信念」ではないかと思うのです。私はそういう信仰を見てきました。神さまは、そういう人々を誇りに思っているのだと聖書に書かれているのです。


信仰とは何か?・・・


『 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。』(ヘブル人への手紙 11章1~3節)


文責: ロバート イー

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