主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

全世界の癌友へ:「死神」に負けない方法 ― 神さまの恵の中で生きる


<みなさんは、「死神」というのを見たことがありますか?>


「死神」というのはですね。・・・長い鎌(かま)をもって、フード付きの黒いガウンを着ていて、その黒いフードの中からふたつの目が光っているという気味の悪い存在です。この「死神」は、私たちが死にそうになると、どこからともなく、スーっと現れて、私たちを「死の世界」に連れていってくれるのだそうです。


で、この「死神」にとりつかれると、私たちは、自分がいつ死ぬのではないかとびくびくするようになります。昔は「結核」が恐ろしい病気で、ほかの人が寄り付かなくなり、死の恐怖におびえたのですが、今では「癌」が猛威をふるっています。コロナも最初は多くの人がなくなりましたが、もうそれほど怖い病気でなくなりました。


<昔は、癌というのは、めずらしい病気でした>


が、今ではいろんな癌の病気で病んでいるひとが増えています。私も流行には勝てずに「肺がん」と仲良く生活していますが、癌という病気になりますと、「死神」にとりつかれたように、自分の死をたえず意識するようになります。自分の死を意識しないでは生きていけなくなるようです。


癌という病気は細胞の病気で、癌細胞というのは治療して見えなくなっても、いつでもまた再発する可能性があるのです。・・・皆さんのなかにも、癌をわずらった方とか、ご家族のなかに癌をわずらっておられる方がいるというお方がおられるだろうと思います。その方たちは、みなさん私の「癌とも」です。


癌病棟で若い人が化学療法で髪の毛は勿論、眉毛までなくしているのを見ると、自分の健康をわけてあげたくなります。


<信仰者は恐れない、未来が楽しみなのです>


聖書に『 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。』(詩篇 90:12)という御言葉があります。“自分の残された日(生きながらえる日数)を数えて、知恵の心を得させてください”という祈りです。・・・癌になったら、あとどのくらい生きられるか教えるようになりますが、知恵の心を得られるかどうかは、その人が「死神」ではなく「本当の神さま」に出会うかどうかでしょうか。


私は、毎日“生きている”ということを意識しています。・・・“お元気ですか?”とか、“いかがですか?”と聞かれて、“生きています”と答えると、みなさんは、私が冗談を言っていると思われて笑われるのですが、“生きている”という状態は、すなわち“神さまに生かされている”ということ、神さまの祝福なのです。


今日生きているのは、神さまからのプレゼントなのです。


死ぬのが怖いという人がいます。死ぬのは寂しいという人がいます。なぜですか?それは、私たちがまだ「死」を経験していないからです。


だから、イエスさまは、私たちに「死」を見せてくださいました。その死は壮絶なものでした。残酷なものでした。イエスさまは、苦しみ悶えて死んだのです。でも3日目にイエスさまは、その死からよみがえられたのです。


私たちに“死んでも生きる”ということを見せてくださったのです。そこには、黒いフードつきのガウンをきた「死神」などいないのです。


だから、神を信じ、 御子イエスキリストの贖いを信じるものは、死後の心配をする必要はないのです。私たちには、怖れるものが何もない。・・・それが「知恵の心を得る」ということだと思います。


文責: ロバート イー

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