主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

あの時はありがとう - 感謝したいことがあるのは感謝です



<毎日、「あの時はありがとう」という連載ものが届けられます>


今日は、一年半付き合った大好きな彼女に振られて、しょぼんとした人の話でした。


彼は、自分をとりもどそうと旅に出ました。その文章には、途中で乗せてくれたトラックの運転手と「おばさんのおごりだよ。元気だして!」といわれた小さな食堂のおばさんのことがでていましたが、そのほかにも親切にされた人たちが多くいただろうと思います。


彼は、一年大学を休学しアルバイトをして、ソ連・北欧・ヨーロッパ・中東へ一人旅に出かけます。その時に、母親から“出かけてから読んで!”と手渡された手紙に『あなたを捨てる人もいるけど、あなたを愛している人がいることも忘れないで!』と書かれていたそうです。


彼は、後に自分の会社を作り、それを後輩に譲って、74歳で引退したとのことです。


<私も感謝したいことだらけです>


ある時、「振り返ればすべて良し」という話を教会の礼拝でしました。本当にすべて感謝なんです。アメリカに留学して、働きながら勉強しようという無謀な計画でした。だから、人なみの苦労はしたのです。


友達は、アメリカン・ドリーム(成功物語)じゃないかと言います。・・・ちっとも成功していないけど。奇跡的に生き延びたという意味では本当です。そして、多くの見知らぬ人に、名も知らぬ人たちに助けられたのです。皆さんに(おひとりひとりに)お礼を言いたいです。


1973年7月(50年前)、安藤秀世さん(牧師になった)の歌「われさえも愛したもう」という歌を聴きながら、アメリカに来て苦労したことを思いだし、自分を愛してくださっている「神さまが本当にいるなら信じたい」と思ったのです。


あなたも、それを信じることができたら、あなたの人生は変わります。


一昨日の礼拝で、高木牧師が『神さまは、あなたに特別の目的を用意されている』という話をされました。そう聴きました。人生の目的というと、何か大げさに聞こえますが、・・・誰にもそういうのがある。気がつかないかもしれませんが。・・・


それが何か人目を引くものだったり、人が賞賛するようなものではないかもしれませんが、私たちには生きる目的があるのです。


“人から捨てられる”というのは、どこまでも悲しいことだと思います。それも好きな人に捨てられるなんて、耐えられない。・・・でも、彼は良く耐えましたね。・・・彼を愛し、優しくしてくれた人たちがおられたからです。


もし、“彼を愛し、優しくしてくれた人たち”が神さまから遣わされた天使だとしたら、この方は、神さまを信じたでしょうか?


私は、そう思うのです。私に関わったすべての人たちは、神さまから遣わされた天使たちです。その中には一見意地悪な天使もいた。(笑い)


その方たち、ひとりひとりに感謝しています。


『主(神)御自身があなたに先立って行き、主(神)御自身があなたと共におられる。主(神)はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」』(【新共同訳】申命記31:8)
 
文責: ロバート イー

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