主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神さまが赦されない罪とは何か、ビリー・グラハム

(写真:ビリー・グラハム伝道協会)


<ビリー・グラハムのメッセージ>


ビリー・グラハムのメッセージは、「神さまの裁きと赦し」だと思います。・・・”神さまはこの世を裁きます。罪は赦されません。悔い改めて、神さまのもとに立ち返りなさい!” というメッセージだったと記憶しています。


そして、そのメッセージに応答して、多くの人々があの大きな野球場の座席から続々とグラウンドに降りて行き、悔い改めのお祈りをしたのでした。


私は、今、大谷翔平選手がプレイしている野球場と同じかどうかわからないのですが、昔々オレンジ郡の Angeles の野球場で持たれた「ビリー・グラハム大会」のアッシャー(カウンセラー)をしたことがあるので、ビリー・グラハム大会の緻密な準備やビリー・グラハムの力強いメッセージを身近に体験しています。


ビリー・グラハムのメッセージのベースは「神の裁き」です。そして、(前に書いた)チャック・スミスのベースは、「神の愛」だと私は結論しています。
参照、チャック・スミス:



<神さまが赦されない罪はあるのか?>


“この質問にグラハム氏は、赦されない罪がたった1つあり、それは「神の赦しを拒む罪」だと答えた。”そうです。


ビリー・グラハムなら当然そう答えるだろうと思うし、その答えに、この世の人の賛同も得られるだろうと推察します。ですが、チャック・スミスは絶対にそう答えないと思うのです。なぜなら、聖書66巻の結論は、「神の愛が裁きに勝った」と、いうか「神の愛が神の義(正しさ)を説得した」ということになると思うからです。聖書が語る「神の愛」は、人間の想像・理解・論理を超えるものだと思うのです。


だから、(いかなる意味においても)「神の裁き」を脅迫に使うことはやめたいと思うのです。神は愛なんです。Plain and Simple(難しくなく簡単なことです) 


あの太陽と北風の話を思いだしてください。どっちがオーバーコートを脱がせることができたでしょうか?北風が吹くと、人はしっかりコートにしがみつきましたが、太陽に照らされると、その人は、熱くなって自分からコートを脱ぎましたね。


私たちを心から愛してくださる方を、どうして恐れる必要がありましょう。 もし恐れがあるなら、それは神様が私たちに何をなさるかと、不安をいだいている証拠です。 神様の完全な愛は、そんな恐れを、すべて取り除きます。 恐れている人は、神様の愛をまだ十分理解していないのです。』(リビングバイブル ヨハネの第一の手紙4章18節)


文責: ロバート イー

×

非ログインユーザーとして返信する