主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

鬱病とか癌とか、近代医学の盲点が見えました

主と私

(有名なミケランジェロのアダムの誕生の絵)


<病気になると人体の仕組みのすごさを学びます>


よく「人は人体の臓器を再製することはできない」と言われますが、人の身体の仕組みは、最終的にはそれぞれの細胞のDNAにまでさかのぼらないと理解ができないのですね。


神さまに造られた“人間”のすごさ。旧約聖書のヨブ記で、神さまは文句を言っていたというか自己弁護していたヨブに、神さまは天地創造のありさまを語ります。天地創造がマクロなら人間の創造はミクロの世界になるのかな。


<鬱病にとらわれそうになりました>


日本で肺炎になったのに、心臓病の悪化と思って急遽(アメリカに)帰国したことを書きました。それで、肺炎の治療を続けてきましたが、新しい3つの薬のおかげで鬱病になりそうになりました。


薬というのは、だんだん効いてくるので、そのうちのある薬は4週間もかかって効いてくるというのがありましたが、だんだんとリラックスしてきて、次はやたら眠くなり、だんだん何もしたくなくなり、気力がなくなり、うんざりしてきて、“あっ、これはヤバイ”と思って、これらの薬をやめました。


私は、いろんな薬を飲んでいるので、新しい薬には気を使っています。日本で“息苦しく”なった時、まずしたことは、追加した薬をやめることでした。私は、複数の専門医に会っています。医者は、一応薬の相好性をみているのですが、薬の副作用や後遺性は患者さんによって違うそうです。人によって反応が違うのですね。


この3つの薬の全部かそれともどれかが、ほかの薬と関連して、私を無気力にし、うんざりさせたのです。


<薬には、かならず副作用があります>


薬は、特定の病的現象を抑えるか、または、ある働きを活性化させるものだそうです。いずれにしても、不自然な作用だと言われれば、その通りなのです。癌の治療も良い細胞も殺すものですから、決して最善の治療方法とは言えないでしょうが、昔から比べれば画期的なものになっていると言えるでしょう。


いずれにしても、どの薬にも副作用があって、その薬を使用するかどうかは、その副作用に耐えられるかどうかにかかっているのです。私は、癌の最新の薬(1錠$500=70,000円{*})を飲み続けることが出きませんでした。心臓に影響が出てきたからです。・・・{*140円換算}


<近代医学が病を増やしている?>


コロナ禍でワクチン反対の人たちがいました。聖書(黙示録)を振りかざして終末論をとなえる人もいたのですが、ワクチンがかえって病気を生む、体質を変えてしまうという論理を叫ぶ人たちもいました。それが臨床実験などで証明されれば、近代医学者も耳を貸したでしょうが、単なる推測と独断になっているので、どうしようもありません。それに、とにかく病の蔓延を止めなければなりませんでした。


私がずっと愛用していた、甘味料(砂糖の代替品)は、癌を発生させるものだというニュースがあるのにどこにでも置いてあります。癌の基であるDNAを書き換えるという食物や添加物はいまだに使われています。Again, 何の科学的証拠が提示されていないからです。政府は、税金でそういう研究をするべきなのにしない。できないのです。訴訟になるかもしれないからです。


<精神的なものは、精神的に解決しなければならないと思っています>


私が、仕事で、精神的なブレーク・ダウンを経験した時、数人の専門医にあって経験したことは、すぐに「精神安定剤」を処方することでした。彼らは「薬漬けにして、いつまでも自分たちの患者にしておきたいのだろうか」と思わされたくらいです。読めと勧められた本もできるだけ精神を高ぶらせないようにするというようなものでした


それでは改善しないじゃないかと言って、精神科医と口論したこともあります。


たとえば、不安になったら、自信をなくしたりしたら、不安の原因をとりのぞくようにし、自信をとりもどさなければならないのです。不安を薬でおさえたら、いつまでも薬に頼るようにならないでしょうか?苦しいけれど、一歩々々、少しずつ自信をつけていかなければなりません。リハビリというのは、自分でやることです。


どうしようもない時は、薬を使います。でも、どんな薬でも副作用があり、後遺性があり、依存性があるというだけでなく、バランスを取ろうとする身体の働きを邪魔することになると思うのです。


私が急にタバコをやめて自律神経失調症になって苦しんでいた頃、朝起きたらすぐにベッドのはじに座って、今日一日発作が起きないように神さまに祈りました。そして、寝る時は、感謝のお祈りをして、眠りについたのです。・・・神さまの御手にゆだねて一日々々をこなしていったのです。おかげで、薬はいっさい使わないですんだのです。


その頃は、車の運転もできませんでしたが、3年後、自信をとりもどすことができたのです。


『最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。』(エペソ人への手紙5章10節)。


文責: ロバート イー

×

非ログインユーザーとして返信する