主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

チャック・スミスという人が残したもの(再アップ)

<愛すべき人、チャック・スミス>



私は、“偉人”と言う言葉が嫌いです。すごいことをした人というのはいます。スポーツでもすごい記録を残した人はいます。でも、それで、偉人と呼べるでしょうか。
リンカーン大統領は、偉大な業績を残し、多くの人に影響を残しました。チャック・スミスという人も多くの人の人生に大きな影響を与えた人でしたが、彼はなによりも人々を愛し、また人々から愛された人でした。
先日、私たちの祈祷会で、彼についての話が出ました。有名な話ですが、彼の教会に集まってきていたヒッピーたちの問題は、彼らが泥だらけの裸足で教会に入ってくることでした。それで、教会の執事たちが「裸足の人は教会堂に入るべからず」という張り紙を出したのです。そうしましたら、チャック・スミスは、“私を頸(くび)にするか、彼らを入れるか、どちらかにしてくれ”と言ったそうです。
私がクリスチャンになった頃(47年前)の教会では、どこでも男子はみなスーツにネクタイをし、女子は、スカートをはいていました。穴のあいたジーンズなんてとんでもなかったのです。そういう頃に、ヒッピーたちがロサンゼルスの郊外、オレンジ郡のコストメサ市にある、このカルバリーチャペルに集まってきたのでした。
昔は、サンデーベストというのがありました。礼拝には、一番いい洋服を着て行ったのです。神さまに対する礼儀だし、感謝のしるしでもあったのです。そういう伝統的な考えをチャックは、変えてしまったのです。“ありのままの姿”で神さまのもとに来ることを、否、サンデーの服がないから教会に行けない人がないようにということを願ったのです。


<チャック・スミスは、失敗した人でした>


チャック・スミスは、プロテスタントの聖霊派、フォースクエア教団の神学校を出た人です。
(たまたま)日本から来た留学生がその神学校を卒業するというので、私達がそこに出かけて行った時、祝辞をのべた人がチャック・スミスだったのです。私は、その時まで、チャック・スミスという人を知りませんでした。45年ぐらい前の話です。
チャックが卒業した時の話です。彼が遣わされた教会は、覇気のない死にかけた教会でした。それで、チャックは、教会員を激励して、伝道する教会にしようと一生懸命につとめましたが、そうすればするほど教会員は生気を失ってくるという状態でした。それで、自分は牧会する賜物がないと教会をやめて、普通の会社員になったそうです。
しばらくして、ようやく失望感から立ち直った時に、家で週に一回の聖書を学ぶ会を始めました。そうしたら、人がどんどん増えてきて、家に入りきれなくなって、自分の教会を建てるようになったという話です。
チャックは、神学校の卒業生に言いました。“自分で伝道しようと思うな、子羊にみ言葉を伝えなさい。そうすれば、羊はどんどん(勝手に)子供を産んでいくんだ”という言葉で祝辞を終えました。
彼には、その他にも失敗はありました。この世の終末について自分の考えを述べたのです。1981年までにはこの世は終わると言いました。でも、それは、“自分の推測(計算)では・・”という但し書きがあったのに、それが起こらなかったので、チャックのもとを去った人たちがいました。


<チャックには、許容力がありました>


服装だけではありません。音楽も伝統的な賛美歌でないこの世的なポップやロックンロールを受け入れました。
若者たちの集会が土曜日にあって、1978~1980頃の「マラナサ・コンサート」では、多くの魂を生き返らせたのでした。そこで回される献金箱はケンタッキーフライドチキンの空き箱で、お金を入れるだけじゃなく、お金を必要としている人は、そこからお金をもらっていきました。
チャックはお金に淡泊でした。プライベートジェットもありません。どのくらい給料をもらっていたのだろうか?たいしたことなかったと思います。
数年前、ロスからサンフランシスコに帰る時でした。日曜日だったので、グレンデールの“カルバリチャペル”に寄りました。ところが、そこの礼拝には献金の時がなかったのです。献金箱はどこですか?と聞いたら、わからないと言われました。バイブルクラスから始めた典型的なカルバリチャペルでした。


Patty: チャック、愛って何なの? 
                   
Chuck: イエスと呼ばれた人のことだよ



<最後の最後まで忠実だったチャック>


私が最後にチャックの話を聞いたのは、2013年のイースターの一週間前の礼拝でした。
イースターの礼拝は、Pacific Amphitheatre で行われましたが、チャックは早朝の礼拝に出たとのことで、昼の礼拝に出た私たちはチャックの話を聞けませんでした。
そして、その年の10月、私たちがエルサレムに行っていた時でした、2日目の夕方、 “チャックが召された”というメールを受け取り、しばし静寂な思いに浸ったものです。その週の日曜日には、チャックはいつものように教壇でメッセージされていたのです。
♪“主われを愛す。主は強ければ、われ弱くとも、おそれはあらず” は、チャックが愛した賛美のひとつです。
ところで、チャックは私のことを知りません。私は彼と握手したこともありません。私にとって、チャックは、遠くから、神さまに従うということがどういうことなのかを私に教えてくれた主にある先輩のひとりでした。
だから、チャック・スミスを身近に知っている方々には、私のこの文があまりにも不十分だと思われるでしょう。お許しください。私は、彼を“偉人”扱いしたくないのです。チャックは、彼の使命を素直に生きた人だったということにとどめることを願うに違いないと思っています。



文責: ロバート・イー


02/13/2020▶︎ 主とわたし・・


Posted by SANBI.us

×

非ログインユーザーとして返信する