主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

日本の神さまは、縁を結び、縁を切ることができるそうだ。

<縁むすびの神社>


(出雲大社)


今日、ロサンゼルスの教会から松江のキリスト教会の牧師のところへ嫁いできたYさんに案内されて出雲大社に行ってきました。


広大な敷地に建てられた出雲大社は、日本の神々が集まるところで、神無月(10月)には、日本の村々町々の神さまたちが、この出雲に集まるので、出雲以外のところは神さまたちのいない月になり、出雲だけが“神有月”になるのだというのです。・・・ということは、出雲は、日本の八百万の神の総本山?ということになるのでしょうか。


出雲は「縁結びの神」と言われていると思っていましたが、地元の人たちはそれだけが強調されるのを好まないようで、あらゆることに働かれる神さまであるとのことでした。きわめて古い神道の精神をうけついだ社寺であり、豪族の守護神であったろうと思われます。


<“縁”とは何か>


縁とは仏教用語だそうで、「広義には結果を引き起こす因のこと。狭義には結果を引き起こす直接の内的な原因である因に対し、それを外から助ける間接の原因をいうらしい。


一般的には、「二つ以上のものが寄りついてかかわりを持つ作用を表わす。」(コトバンク)


いわゆる、日本人が最も大切にしている人間関係なんですね。


<縁切り寺、神社もあるそうです>



縁切寺 (さだまさし)グレープ 北鎌倉 明月院


・・・あの日誰かに頼んで撮った  一枚切りの一緒の写真、収めに来ました 縁切り寺。・・・君は今ごろ幸せでしょうか、一度だけ町で見かけたけど、紫陽花(あじさい)まではまだ間があるから、こっそりと君の名を呼ばせてください。人の縁とは不思議なもので そんな君から別れの言葉 あれから三年 縁切り寺・・・


<キリスト教の縁は永遠に>


案内してくれたYさんが伝道の書の「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」という言葉を引用し、人は生まれた時から“永遠”という概念をもっている。だから神さまを知っているんだと言われました。


日本の神話は、日本国統一の手段として使われ、“日本教”に発展したと言われますが、本物の神は実存するのです。


全てを造られ、すべてを支配する神。単に、縁をむすびたい、縁を切りたいという目先の願いを助けてくれる“神々”ではなく、目で見えない永遠の神を人は知っているというのです。


<神さまが与えた戒め「十戒」>


神さまが与えた最初の戒め、十戒の冒頭には、本物の神を礼拝することが書かれています。本物の神さまは、永遠普遍の神さまですので、見えないのです。それを人はついつい形にしたくなるのです。なんらかの形にし“守護神”にしたら偶像となるのです。


20:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
(出エジプト記20:2~6)


文責: ロバート イー

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