主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

空の空、伝道の書(コヘレトの言葉)・・・それでも生きる


<異端の書といわれる伝道の書>


ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 伝道者は言う、 空の空、空の空、いっさいは空である。』(伝道の書 1:1‭-‬2 口語訳)‬


という言葉ではじまる、この伝道の書には、うんざりさせられるような言葉が満ちています。が、その中には人生の美しさを思わせるところもあります。


天が下のすべての事には季節があり、 すべてのわざには時がある。 生るるに時があり、死ぬるに時があり、 植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 殺すに時があり、いやすに時があり、 こわすに時があり、建てるに時があり、 泣くに時があり、笑うに時があり、 悲しむに時があり、踊るに時があり、 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、 抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、 捜すに時があり、失うに時があり、 保つに時があり、捨てるに時があり、 裂くに時があり、縫うに時があり、 黙るに時があり、語るに時があり、 愛するに時があり、憎むに時があり、 戦うに時があり、和らぐに時がある。


働く者はその労することにより、なんの益を得るか。 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。』(3章 1~11節)


<なんでこんな書物が聖書にふくまれているのか>


聖書は、神さまが人を通して語られた書物です。とするとこの世の営み(人生)は果てしなく虚しいと、神さまが告げられているということになります。


そして、(この書をそのままひねくり回さないで読めば) Do your best to enjoy your life ということになると思うのですが、その辛辣さを加味すれば、「人生なんてクソみたいなものだ、せいぜい頑張って楽しみな」というように読めるのです。


そして、最後に『事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。』という言葉で締めくくられています。


<世の終わりに裁かれる>


伝道者(コヘレト)のことばは辛辣です。ありのままに語られたこの世の人生、それは我々人類が自ら作り上げてきたものです。


もし、もっと違う世界を作ろうとしたら、作れたかも知れないのに、こんな世の中を作ってきたのです。


そして、私たち一人ひとりは、それぞれの人生を終えて、神さまの裁きの座につくというのです。


<それでも生きる>


この書は、私たちに生きる目的について問う書物だと思います。なんの為に生きているの?って。


現在東京神学大学教授で中村町教会の小友聡牧師は、この書のテーマを「それでも生きる」とし、「空しさを生きることへの励ましが書かれている」と述べています。


でも、この世をどう受け止めどう生きるかは貴方次第、私次第なのです。


神を畏れ神の戒めを守るのか、自分の快楽をつきつめる人生を歩むのか。それは、私たち次第です。


ちなみに、<神の戒めを守るということについては>


ある時、その律法学者の一人が、イエス・キリストのもとに来て、「神の律法の中で、どれが一番大切な戒めなのか」と聞きました。


キリストはこう答えました。


"第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。" (マルコの福音書12章29節~31節)


文責:   ロバート イー

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