主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

神就是愛 (神さまは愛です)(再アップ)

{ 聖書が伝える”神の愛” }


<日本語訳の聖書は、素晴らしいです>


新改訳『 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。』(ヨハネの第一の手紙4章8節)


<漢文の聖書は、さらに魅力的です>


漢文は簡潔で、まとをえているのがすごいと思うのです。その点、旧約聖書のヘブル語に通じるものがあるように思いますが、それは、当時の人の思想が、考え方が単純であったからではないかと思わされています。


それなのに、長い歴史にささえられてきた中国語が、(いまだに)その単純さを維持しているというのは驚きです。単純で簡潔で、かぎりなく観念的だけど、その内容を(それなりに)正確に伝えることができるんですね。


私の持っている漢訳聖書は、1977年の聖書 Union Version Printed in Hong Kongですが、この “神は愛です” というところが  ー>「上帝就是愛」と書かれています。


「上帝就是愛」の“上帝”は神ですので、「神就是愛」ということになります。


<神就是愛>


中国語の初歩ですが、AはBですという場合、A是Bと書くそうです。Aは是(すなわち)B、ということですね。ですから、「神は愛です」という言葉は、「神是愛」と書かれることになるわけですが、“神就是愛”と書かれているのです。


“神さまは是(すなわち)愛です” ではなく、そこに“就”という字がつけ加えられているのです。それで、「就是」と「是」はどう使い分けるのか?調べたのですが、中国語を勉強したことのない私には、はっきりしたことがわかりません。


わからないと、どうしても知りたくなる性分なので、友人の芙美さんに連絡し、御主人の David さんにも確認をとったのです。


<神就是愛と神是愛はどう違うのか?>


すると、芙美さんからは、“神こそ愛です”と特定するのだと返事がきました。Davidさんからは、“就”は、形容詞で “exact” (間違いない、厳正な)という意味だというのです。すなわち、「神さまこそ愛そのものです」という意味になるわけです。“就”という一文字で、表現される内容に深みが出てくるんですね。


もし、誰かが“神さまって何ですか?神さまってどんな存在ですか?”って質問されたら、神就是愛 Shén jiùshì ài(神さまは、”愛“そのものなんです)と答えればいいというわけです。


私ちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。』(ヨハネの第一の手紙4章16節)


文責: ロバート・イー


09/01/2019▶︎ 主とわたし・・


Posted by SANBI.us

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