主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

アメリカの銃の問題には、世界史的な思想が含まれているのです


<またまた子供たちが殺されました>


5月24日、テキサス州の小学校で銃撃事件が発生しました。発砲したのは18歳の青年で、児童19人と先生が2人殺されたのです。(その前の週にも18歳の青年がバッファローのスーパーマーケットで10人を射殺しています。)


日本にいる皆さんは、どうしてアメリカでは銃の取り締まりをしないのかと不思議に思うことでしょう。それは、アメリカの憲法が「銃を持って自分や家族を守ること」を保障しているからです。


このテキサスは、まさにその銃の保持を死守している州です。でも、それは、テキサスだけではく、アメリカでは、どこの州でも「政府だけに銃を持たせることはできない」という根本的な思想があるのです。


ミャンマー(ビルマ)を見てください。軍がかってにクーデターを起こし、国民を蹂躙(じゅうりん)しているのです。反対デモをしている人たちを軍が殺戮しても、国民はこの軍に対抗することができないのです。武器をもっている者が強いのです。


日本では「刀狩」というのがありました。豊臣秀吉は、武士(支配層)以外の者から刀をとりあげました。それ以来、もう支配者に(武器をもって)立ち向かうことはできなくなったのです。


日本には「個人の尊厳」という近代思想が伝わりませんでした。(いや、それを開国時の支配者がひた隠ししたというべきでしょうか)、それで、国が全体的な益を考えてあなたの面倒を看てやるから、個人的な主張(わがまま)は控えなさいという文化を作ってきたのです。(でも、外国帰りの人たちは、だまっていません。)


アメリカはすべてが「個人」です。「政府」対「個人」なのです。アメリカの独立宣言には『すべての人間は平等に創られ.創造主によって,生存,自由そして幸福を追求する権利が与えられている。そして、この権利は、侵すべからざるものである』と書かれているのです。誰もどんなことがあっても “侵してはならない権利” だというのです。


この思想をもとに、アメリカは、個人が武器をもって権力者にたてつくことができるように「武器を身につける権利(Right to bear arms)」を保障しているのです。


民主主義とは、「国民ひとりひとりが国の執行者(大統領や首相など)を選び、同時に、そういう人たちをクビにすることができる」ということです。もし、国民に力(武力)がなければ、腐敗した権力を排除することはできません。現実には、政府と武力で戦っても勝てることは少ないかもしれませんが、それでも武器をもち対抗する自由を憲法が保証しているのです。


<アメリカは戦う>


私たち(私と妻)がサンディエゴに着いたのが1968年7月27日でした。ウォルター・クロンカイトという有名なテレビのアナウンサーが毎晩ベトナム戦争についていい加減な報告をしていましたが、ベトナム戦争にかりだされた青年たちが帰ってきて、“アメリカは負ける”という事実が伝えられていったのです。


私が一生懸命、英語の勉強をしようとテレビを見、新聞を読んでいた頃ですが、すごい事件があったのです。それはベトナム帰りのふたりが何十人もの警官と銃撃戦を繰り広げたという事件でした。この二人がどうして警官に囲まれるに至ったのか覚えていないのですが、驚きは、この二人が警官を次々と倒していくのです。ベトナム戦争を戦いぬいてきたふたりは、訓練された警官よりもすぐれていたのです。でも、それでもついに殺されてしまったのですが、日本では考えられないことでした。


テキサスなどでは、まだ幼い子供に誕生祝いとしてライフルをあげるということがよくあるそうで、銃で自分の身を守ることを教えるのです。(いつでしたか、誤って、教官が撃たれて死んだというニュースも聞きました。)


私が韓国にいた頃、5歳ころでしたか、父たちに猟につれていってもらいました。その時に拳銃の打ち方を教わりましたが、拳銃をしっかり押さえてもらい岩の上の標的を狙って引き金をひくのですが、すごい衝撃でした。映画のようにパンパンとはいかないのです。


アメリカでは、秩序をみだす者を警官が武力でとりしまるのですが、自分の安全は最終的には自分で守る以外にないのです。それは基本的に日本でも同じことだと思います。ただ、アメリカでは(前科がなければ)誰でも自由に銃が買えるのです。戦闘用の機関銃(AR15など)も買えるのです。多くの人が銃を買い、万一に備えているのです。政府がこの人たちから銃を奪うことはもはや不可能です。


だから、警官というのは、大変な仕事です。たえず気を付けていないと撃たれて殺されてしまいます。警官の奥さんは毎日夫が無事に帰ることを祈っていることでしょう。市長の第一義務は、町の安全を保障することです。警察は市の管轄におかれ、警官の不祥事は市長の責任となります。だから、警官は市民に雇われたボディガードのようなものと考えることができます。通報してすぐ来なければ問題になります。今回も遅く来たのが問題になっています。


<生か自由か>


「我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」というのは、ヴァージニア植民地議会議員パトリック・ヘンリーが、1775年3月23日にヴァージニア州リッチモンドのセント・ジョン教会でした演説の中で使われた言葉ですが、アメリカ人にとってこの “自由” ほど大切なものはないということを理解しなければなりません。


“自由” は “命” よりも大切なのです。“自由” のない人生は、“死” と同じかそれ以下なのです。ヨーロッパでは、社会性を考慮して個人の自由が制限されてきましたが、アメリカでは、あくまでも個人の幸福の追求、つまり、自分が好きなように生きることが良しとされているのです。


昔一緒に働いたD氏は貧しい田舎に住んでいました。彼は、食料がなくなると、ライフルを抱えて猟に出かけたのです。35年ぐらい前の話ですが、アメリカの田舎では今でもそうしている人たちがいるのです。自分で井戸を掘り、家畜を買い、野菜をつくって個人生活をしている人たちがたくさんいるのです。 そして、勿論、銃で自分の生活を守っているのです。警察などあてにしていません。だから、この“権利”は、アメリカの神話であるだけではなく、いまだに現実なのです。


時には、自分たちで村を作り俺たちの自由にさせろというグループも起こります。例えば、Wako Siege(Wakoの包囲攻撃)がそうでした。約千人もの人達が死んだと言われますが、燃えたので、正確な数字はわかりません。いくら武器をもって立てこもっても、政府には勝てません。それでも、彼らは戦いを選び、死を迎えるのです。


1992年4月29日から約1週間にわたり発生した「ロサンゼルス暴動」はすごかった。黒人のロドニー・キングが4人の白人警官によって殴る蹴るなどの暴行を受けている映像が全米のニュースで放映されました。そして、その4人の警官は裁判を受けたのですが、皆無罪になったので、黒人が怒り暴動になって略奪や火事を起こしたのです。


そして、その暴動が韓国人街に及ぶと、今度はビルの屋上から戦争帰りの韓国人が銃で荒れ狂う黒人を撃ち殺したのです。おかげで韓国街は生き残ったのですが、当時、私たちは郊外に住んでいたからいいものの、LAのダウンタウンに住んでいた人たちは命からがらでした。


<戦わなかった人たちもいた>

(Emanuel AMC Church)


2015年6月17日、アメリカ南部の最古の黒人教会、Emanuel AME Church(エマニュエル・アフリカン・メソジスト・聖公会 教会)で襲撃事件がありました。13人が集まり聖書の学びをしているところに、21才の白人の青年が入ってきて、最初はその学びに加わっていたのですが、急に立ち上がって、バックから拳銃をとりだして、“私はこうしなければならない。あなた方は私たちの女性をレイプし、私たちの国を乗っ取っています。だから、あなたがたは去らなければなりません。”と言って、まずはじめに、牧師で州の上院議員であったクレメンテ・ピンクニーを、そして9人を殺し、残りの人たちを負傷させたのでした。この青年は、白人至上主義で黒人の台頭に肝を煮やしていたのでしょう。典型的なヘイト犯罪です。


これは、私にとって、とても悲しい事件でした。アメリカには人種差別があります。私たちがアメリカに来たころは、圧倒的に白人社会でした。それから、次第に黒人が政治に顔をだすようになり、黒人と白人の血をひく(黒人の)オバマが大統領になったのです。
(ちなみに、私は、オバマが大統領になるとは思いませんでした。ヒラリークリントンに負けて、副大統領にでもなれば、大統領になる可能性は少しあると思っていたのに、大統領になったのです。白人至上主義のかのトランプは、オバマ大統領の8年間、どんなに憎しみに燃えていたことでしょうか。黒人が白人に命令するなんて許されないと思っていたことしょう。)


クレメンタ・ピンクニ牧師の告別式でのオバマ大統領のスピーチは感動的なのものでした。オバマ大統領は初めに「全ての賛美と栄誉を神にささげます」と言い、「聖書は私たちに、見えないものを望み、心折れることなく、信仰を持ち続けるよう呼び掛けています。彼らは死んだ時も、信仰によって生きていると聖書は語っています。これらの人はみな、信仰をいだいて死に、まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び そして自身を、地上では旅人、寄留者であると自ら言いあらわしました・・・」と語り、そして、最後にAmazing Grace (驚くばかりの)という讃美歌を歌ったのです。オバマ大統領が歌いだすと、檀上に座っていた、牧師や州の要人たちが皆一緒に歌いだしたのです。


生き残った人たちは、みな襲撃したこの青年を赦しますと語っていました。だれひとりとして恨み言をいう人はいなかったのです。アメリカは、もともと自由に神さまに礼拝をささげるために集まってきた人々から始まった国だったということを思いださせるものでした。


アメリカに神の大いなる恵みと慰めがありますように・・・。


文責: ロバート イー

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