主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

信仰者は、此の世の「政治」にどのようにかかわるべきなのだろうか(2)・・・・ ー アメリカの政治制度について少しお話させてください ー

<Conservative vs Liberal(保守主義者と自由主義者)>


アメリカには、2大政党、共和党と民主党があります。そして、“Conservative”(保守主義者)と、”Liberal“(自由主義)という考え方があります。


“Conservative”(保守主義者)というのは、アメリカの伝統的な生き方・伝統的価値を守ろうとする人たちで、具体的には、「伝統的なアメリカの価値を維持し、政府は規制を少なくして、個人の生活には口を出さない。個人の生活は、基本的に自己責任、国の防衛を盤石にし、コミュニティーの法と秩序を守れば、それだけで充分。」という考え方です。


この考えは、<経済は自由にすればするほど成長する><個人は、自分で努力して自分の目的を達成する>という大前提をもっていると思います。単純なケインズの資本主義です。


一方、“Liberal”(自由主義者)とは、「政府は、伝統にこだわらず、新しい考えを取り入れて、すべての人に公平な機会が与えられ、平等に扱われる体制をつくる責任がある。政府は市民の自由と人権を擁護し、個人が自分の幸せを達成できるようにしなければならない。」と考える人たちです。


この考えは、<アメリカ社会には不平等、貧困の差があるから、その是正しなければならない>という考え方で、<ほっておくと貧困の差がどんどん増し、経済が破綻する>という考えが基本にあると思います。(実際に数年ごとに不況が来ています。)


で、私たちクリスチャンは、自分の考えで共和党の人もしくは民主党の人に投票するわけですし、勿論、特定の選挙運動に参加してもいいのです。ただし、キリスト教会の指導者たちは、いかなる選挙(政治)に於いても、誰々に投票しなさいと教壇から要請するというのは問題です。それは、宗教と政治の混同になりますし、宗教をもちいた扇動になります。


更に、選挙後に、“選挙に不正があったというデマ”までまきちらした人がいたのは、まことに残念だと言わざるを得ません。皆さんがごらんになったように、そういう不満が暴動につながったではないですか。根拠のない選挙の批判は、民主主義を否定するものです。これは、アメリカの歴史の汚点となりました。


大体、選挙権もない日本のキリスト教の指導者がアメリカの選挙についてありもしないことを平気で言うなんて、言語道断です。それも自分の意見ではなく、誰々がこう言ったと言って責任を回避しているのです。


<Conservative Christian(保守的クリスチャン)とは何ですか>


保守的クリスチャンは、具体的に、一定の信条を持っています。今度の選挙で叫ばれた「保守的クリスチャン」の信条はというと、(1)胎児の生命を守る(2)ゲイやトランスジェンダーを認めない(3)秩序を守る警察を支持する(4)社会主義や共産主義を否定し、資本主義を守る(5)ユダヤ・キリスト教的価値観を持っているというような項目だと言えると思います。


で、問題は、このように考える人は、クリスチャンで、そうでない人は、クリスチャンでないか、偽クリスチャンだと決めてかかることです。


私は、この項目全部に賛成しますが、“BUT”(しかし)がつきます。だから、共和党クリスチャンから見ると、私は(かぎりなく)偽クリスチャンなのです。もし、この項目に全部賛成し、且つ“BUT”がつかなければ、その人が姦淫をしていてもOKなのですか?明らかな嘘を平気でつく人がどうしてクリスチャンと言えるのでしょうか?


・・・続く・・・


文責:ロバート イー

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