主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

「木綿のハンカチーフ」~最も深刻な話をさりげなく~

<最近、はじめて「木綿のハンカチーフ」という歌を聞きました>


「木綿のハンカチーフ」という歌は、1975年に太田裕美という歌手が歌い、大ヒットしたそうですが、私は、一昨日それを聴いて、感動しています。“何を今頃・・”と思われるでしょうが、アメリカに住んでいるとそういうミスをすることがあるんですよ、ごめんなさい。


<この歌は、実にユニークですね>


二人の恋する人が交互に話すという歌です。“恋人よ”と語り“あなた”と応答する歌です。それで“はいだしょうこ”という歌手が一人二役で歌っています:



〈一人二役!?〉はいだしょうこ「木綿のハンカチーフ」- 太田裕美(フル)〈公式〉


田舎にいる“恋人”と都会に出かけた“あなた”。都会の色に染まらないではやく帰ってきてというのに、“あなた”は都会が楽しくて、もう帰れそうにない・・・


<今の日本に、今でも都会と田舎の格差ってあるのでしょうか>


私は、そんなものは過去のものだと思っていましたが、もしかして、今もあるのですね。それで、朝倉さやさんが“山形弁”で歌っているのがあって、これがいい。大変気にいりました。一番好きです。彼女は本当の“歌手”ですね。声量もあるし、説得力があります。:



木綿のハンカチーフ(山形弁) 朝倉さや


<でも、これってすごく深刻な歌ですよね>


この歌の表向きのテーマは、“田舎”と“都会”だけど、本当は“価値観”の違いなのです。


彼女は、“このままでいい”という保守派(コンザーバティブ)。なのに、彼は、“都会で君への贈り物をさがす”といって出かけるリベラル派。彼は、田舎に不満なのです。もっと違った、もっとエキサイティングなものを求めて出かけます。


そして、最後に、彼女は、“涙をふくハンカチーフ”、それも“木綿の”ハンカチーフ“がほしいと言います。これって、最後通告なのでしょうか。


<愛は、自分の価値観を超えなければ続きません>


私たちは、もう53年結婚しているのですが、最初は、大変でした。今も大変で、毎日ケンカしています。二人の考え方が全然違うのです。“不良”と“優等生”です。二人は、違うから惹きつけられたのだとも言えるのですが、違いすぎるのです。


もし、二人が見切りをつけたら、子供たちは生まれなかったかもしれないし、それが生まれた後だったら子供たちにかわいそうなことをしたことでしょう。


妻の忍耐と愛がなければ、私たちはこれまで結婚生活を続けることはできなかったと思います。そう、忍耐と愛が、それだけが人間関係を支えるもののように思います。


この歌の“恋人”も“あなた”も譲り合わないと破局を迎えます。良い思い出にしかなりません。恋人が田舎を出るか、あなたが田舎に戻るかではなく、お互いに少しづつ譲り合わなければならないのです。自分が大切にしているものを“恋人”のために、“あなた”のために捨てていかなければなりません。


主イエスは、私たちのために命を捨てられました。私たちが神さまと共に生きていけるために。


『13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。』(コリント人への手紙一13章4~7節)


文責:  ロバート イー

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