聖餐をする機会のない人たちに聖餐式をしなさい。(再アップ)
『 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。』(ルカによる福音書22章19,20節)
<聖餐式もしなさい>
辻本清臣牧師は、かつて北米ホーリネス教団のロサンゼルスホーリネス教会に赴任された先生で、約50年、私たち夫婦を育ててくださったお方です。
辻本先生に、私が按手礼を受けたこと、日本で初めて洗礼式を執り行ったことを報告した時のことです。“ 聖餐式もしなさい。聖餐にあずかれない人たちのために携帯用の用具をもっていきなさい ”と言われたのです。
<洗礼を授けたい人がいたのに、そうできなかった>
奥さんとの仲が悪くなり、たった一人でさびしく病院で亡くなった方がいました。私たちは(親戚でないので)彼の部屋にも入れずに、彼が亡くなるまで、その病院の暗い廊下で長い間ただ黙って座っていたのです。
私は、彼の傍で祈ってあげたいと思っていました。できれば福音を語り、洗礼を授けてやりたい。安心して天に召されて行ってほしいと思いましたが、そうできなかったのです。
それ以来、私には「寂しく死んでいく方々に“神の福音”を語り、洗礼を授けたい」という思いが与えられたのです。
<洗礼を授けたいという理由で按手礼をうけた>
按手礼を受けないかという話があった時、私たち夫婦は声をあげて笑いました。“私が、、聖職者になる?!”・・・ とんでもない、私は「聖職者」という柄じゃないんです。・・・自分には「牧師を助ける信徒だ」という意識しかありませんでした。・・・神学校を卒業して、(たまたま)教会の礼拝でお話をさせていただいている信徒です。
でも、しばらくして( 聖職者として、病室に入らせていただき)洗礼を授けて“ 救いの確信 ”を与えることができるのは重要だと思い、按手礼を受けさせていただいたのです。
<辻本先生から携帯用の洗礼用具をいただいた>
辻本先生に「聖餐式をしなさい」と言われてから数日たった頃、私たちの家で教会の方たちの集まりがありました。その時、辻本先生から “はい” と言って、紙袋を渡されたのです。何かと思ったら、それがこの「携帯用の聖餐式用具」でした。先生は、私が聖餐式をあまり重要視していなかったことに気がついたのだと思います。

「聖餐式」は、イエスさまの遺言です。イエスさまが十字架にかかる直前に弟子たちに語られた “このようにしなさい” という遺言です。イエスさまの十字架を思い起させるための “シンボル” という理解をしていました。
しかし、カトリック教会の信者にとっては、それは単なる “シンボル”(象徴)などというものではなく、具体的な “聖体”(イエスさまの肉片、血液)と考えられているのです。
<秘跡とは>
カトリックの信者さんは、「秘跡」を大切にします。秘跡とは、カトリック教会の用語で、「キリストの神秘を目に見える形で “現在化” する特別な儀礼」です。
カトリック信仰がプロテスタントと違うのは、「秘跡」が単なる “式”(主イエスの十字架の死(贖い・救い)を思い起こさせる行為)ではなく、“信仰体験” だということです。見えないものを “形” によって 見る、"行為" によって 感じるということですね。
「『秘蹟』とはイエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられた、神の恵みを実際にもたらす“感覚的なしるし”」(ウィキペディア)
もし、私がカトリック信者の家に生まれていたら、自動的に“カトリック信者”とみなされるらしいのですが、カトリック教会の信仰は「秘跡」を通して 信仰 を培うのです。
その中でも、「ミサ」(聖餐式)が最も重要、不可欠な「秘跡」とみなされています。
数年前に長崎に行き、浦上天主堂を訪ねる機会がありました。そこに「ミサ」にくる人たちは、土曜と日曜あわせて1200人ほどだそうでした。少し前は2000人だったけど、減少しているとのことです。
浦上天主堂は、生きている教会でした。信者さんたちは、聖体を受けて、“主が共に居られること” を体験されているのです。
死の前に恐れおののく方に “福音” を伝え、“信仰” を与える「洗礼式」。ある人には、それで十分かもしれませんが、更なる信仰体験を求める方々には、言葉ではなく、イエス・キリストを味わう「聖餐式」が天らいの恵みになるということだと思います。そして、安心して、み国への希望にみたされれば幸いです。
<その後の洗礼式の後に、この携帯用洗礼用具を使わせていただきました>
按手礼を受けた翌日に、私から洗礼を受けたいという方が現れたのにはびっくりしましたが、次の方は、教会に属していない方で、どういうわけか私から洗礼を受けたいというのでした。それで、約一年間毎週ラインで聖書の学びをした後に洗礼を受けられました。

その時、その証人として彼女の友人が2人、補佐をしてくれた方、妻と私と本人で総勢7人です。携帯用にはコップが6つしかありません。足りない分は、自分が小さなコップを借りてと思っていましたが、補佐をしてくれた方の都合が悪くすぐ出かけられたので、ちょうど6つのコップで間に合いました。不思議ですね。神さまは、いつも数とか日にちを合わせられるのです。
“これは、主イエスが(あなたの為に)裂かれた「肉」です。”“これは、主イエスが(あなたの為に)流された「血」です。”・・・ 味わいなさい、そして、イエスさまと一体になりなさい” と語らせていただき、共に聖餐にあずかりました。
ロバート・イー
06/14/2020▶︎ 主とわたし・・
Posted by SANBI.us