主を仰ぎ見つつ

キリスト教的思索

忘れられないクリスマスの思い出


<クリスマスの集い>


あれはオレンジ郡に住んでいた頃ですから35年以上も前のことです。その頃は、感謝祭が過ぎるとすぐに、デパートのショーウインドウには、Merry Christmas と書かれ、ラジオからは、クリスマス・ソングや讃美歌が流れてきました。


当時のオレンジ郡には、日本から来た駐在員がたくさん住んでいて、私たちの家では (教会の行事とは別に) クリスマスを祝う小さな集会をやり、近所をまわってクリスマスの歌を謳 (うた)ったのです。日本からきた人たちにクリスマスって何なのか、ということを知らせるという企画でした。


いつもはみんなで食事を持ち寄ったのですが、その年は、シンプルにフランスパンとクラムチャウダーにしようということになりました。


クラムチャウダーのスープは、レストラン用の、缶に入ったすでに出来ていて温めるだけのもの。パンは、近くのリトル・サイゴンにあるベトナムのパン屋で売っていた、一人分の小さなフランスパンということになりました。


フランスパンは、普通長いものです。このように短いひとり分の(コッペパンみたいなの)は、めずらしかったし、おいしかったのですが、少し値段が高かったのです。


が、今回は、手間をはぶき、食事にはできるだけ気をつかわないということに徹しました。


<クリスマス・キャロル>


この集会では、教会に行ったことがない人にもクリスマスの雰囲気をわかってもらいたいという狙いがありましたので、まず、クリスマスの歌の練習をしました。


「もろびとこぞりて」「荒れ野のはてに」「天(あめ)には栄え」「きよしこの夜(英語も)」それから、最後に “We wish you a Merry Christmas、We wish you a Merry Christmas、 We wish you a Merry Christmas and, a Happy New Year”という歌の練習をしました。


この頃のオレンジ郡はいつも寒くて、ぶるぶるでした。厚着をして襟巻して、蝋燭(ろうそく)と楽譜のコピーを手にもって出かけます。そして、電気が煌々(こうこう)とついていて沢山の人たちが集まっているような家々の近くで、総勢15名ぐらいで賛美をしました。


日本語での賛美ですが、メロディーを聞けば、クリスマス・ソングだとわかります。そうすると、玄関から、またはグラージドアーがガラガラと開いて、人々が出てきます。その中には、日本語の歌を聞いたことのない人たちもいたことでしょう。みんな聞きほれて(?)います。


そして、おなじみの「きよしこの夜」をコーラス(ソプラノ、アルト、ベースで)で歌いました。日本語と英語。英語になると出てきた人たちも一緒に歌う人もいます。そして、“We wish you a Merry Christmas、We wish you a Merry Christmas、 We wish you a Merry Christmas, and a Happy New Year”と歌って、さよならです。


家から出てきた人たちも喜んでくれたと思いますが、歌った私たちも不思議な喜びにみたされました。


<クリスマスの話と食事>


家に帰ってから、クリスマスに関する短いお話をしました。その日は、たしか、リンカーン(大統領)がまだ貧しい少年の頃の逸話をシェアーしました。


リンカーンが教会にいく途中、子豚が水たまりにはまってもがいているのを見て、その中に入って、子豚を助けたという話です。泥だらけになったリンカーンの姿を見た教会の人たちはきびしくとがめたのでした。


そして、神さまは、私たちを助けるために泥だらけになっただけでなく、その命を与えてくださったという話をしたように覚えています。


それから、食事になりました。身体が冷えていたので、温められたクラムチャウダーが身体の隅々に広がっていきました。


ところが問題が発生したのです。パンがたりないというのです。


今回は、パンが一人分だけですので、この集会に来る人たちの数を事前に確認していました。そして、来るという人数の数しかパンを買っていませんでした。(高いから😢)


足りなければ、自分たちが食べなければ良いだけですが、来た人たちにはかならず食べさせたいのです。計算したら4個ぐらいたりない。


キッチンで働いている人や私たちをいれたら5人以上いるから、大丈夫。自分たちが食べなければ。みんなにそう伝えて、パンがみんなに行き渡ったのを見て、袋から自分たちの分を出したのです。


そうしたら、なんと、残りの人たちの分が全部あった(出てきた)のです。そんなはずがないのです。買った数と袋から出てきた数が合わない。もしかして、あのベトナムのパン屋が気を利かして4つ余計にくれたのか?そんなことはあり得ません!


先日、そのことを思いだし、あの時 私に “パンが足りない” と耳打ちした人に、“ほら、あの時パンが増えていたね”と言ったら、“そんなこともあったわね” とそっけないのです。


でも、私は、忘れません、あの時のパンのことを。足りなくもなく余りもしなかった。ハラハラさせられたけど、あの時のパンは、特別なパンでした。


2:10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。2:12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。2:13 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、2:14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。』(ルカによる福音書2章10~14節)


文責: ロバート イー

わたし達は、みんな人生の傷跡をもっています


Johnny Cash - Hurt
(Jonny Cash 「Hurt」(痛み))


I hurt myself today
今日私は怪我をしました


To see if I still feel
まだ(痛みを)感じるかと


I focus on the pain
痛みに注目しました


The only thing that's real
痛みだけが生きている証拠だから(意訳)
・・・


<2種類の傷跡があります>


私たちは、この世に生きている過程で、肉体的な又は精神的な傷跡(Scar)をこの身に心にもつようになるようです。


その傷跡は、ダメージを受けた後、(回復にしたがって)小さくなっていき、ほとんど見えなくなるか、完全に消えてしまう場合もあるでしょうが、隠しようもない醜い傷跡を残すこともあります。


私は、2010年の8月28日に心臓麻痺(心筋梗塞)を起こし、心臓の左心室に血液を送る環状動脈が100%詰まってしまったのです。定期的に血管を広げる薬を注入して、心臓が止まらないようにしているのですが、起こってから90分以内に血管をあけないと死ぬのだそうです。土曜日で専門医がなかなか見つからず103分かかりました。


ようやくその専門医が見つかって、サイレンを鳴らして救急車で運ばれ、カテーテルが挿入され、ステントが挿入されました。・・・すぐにお医者さんがのぞき込んできて、“どうですか痛みは?”と訊きました。でも、まだ、かすかに「痛み」(鈍痛)が残っています。


お医者さんは言いました “あなたの血管は100%詰まっていました。詰まっていたのを取り除き、ステントを入れたので、もう大丈夫です。You shouldn’t have any pain(もう、痛みはないはずです)”


翌朝、6時頃、病室の窓の外に朝日が昇ると同時に、今まで感じていたかすかな「鈍痛」がスーッと消えていったのです。“あっ、治った”。


だいぶ経ってから、私は、その話を私の心臓の主治医に話たところ、その先生は笑いながら、“それは、血が行かなかった心臓の筋肉が死んだのですよ”と教えてくれたのです。・・・死んだ心臓の筋肉はScar(傷跡)になる。心臓の一部は動かなくなるが、それが心臓の healing process(癒しの工程)なのだそうです。それ以来、私の心臓は血液をあまり供給できなくなってしまったのですが、・・・まだ、生かされています。


これは、心の傷の場合も同じではないかと思います。冷たい言い方かも知れませんが、その傷は小さくなっても消えないかもしれません。


<傷跡はあった方がかっこいい?>


昔、私たちが若かった頃、「傷だらけの人生・・・」とかいう歌がはやったような気がします。傷跡は、人生の勲章みたい。


でも、人によったら絶対に触れられたくない「傷」を持っている人もいるのです。実は、その「傷」がその人の人生を決めることにもなるのです。だから同じ傷を持つ者への同情心というのもあります。“癌友(とも)”なんかはそうです。


<イエスさまは、病人を癒しました>


新約聖書のメインテーマは、この世の苦しみ・悲しみの解決です。その主な原因である「病気」をイエスさまという“人間”が実際に癒したのです。めくら(差別用語じゃない)の目を開き、足なえを歩かせ、それだけじゃなく、死人をも生き返らせたのです。・・・そして、本人は十字架にかかって死んだ、と記録されているのです。・・・そして、3日目によみがえり、天に昇られました。


(紀元前700年頃に書かれた)旧約聖書のイザヤ書の預言に、「53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」という言葉があります。


御子イエスのその傷によって、わたしの傷跡(痛み)が消えた」と信じることができる人は幸いです。


I hurt myself today
今日私は怪我をしました


To see if I still feel
まだ(痛みを)感じるかと


I focus on the pain
痛みに注目しました


No, I don’t feel the pain anymore
痛みはもうありません(替え歌)


文責: ロバート イー

笑えるって素晴しいことですね

(ブラジルのリオデジャネイロのコルコバードの丘にある巨大なキリストの像。)


{妻が病気の時、義母は“笑える?”って訊いた}


妻が小さい時、病気になると、義母は、"笑える?"って訊いたそうです。・・・笑えるようになったら、回復した兆候というわけです。義母も“笑えそうだな”と思った時に訊いたのだろうと思います。


{「悲しい人」がいました}


家から車で8分ぐらいのところ (Atlantic Blvd とValley Blvdのところに)ベトナムサンドイッチを売っている店があります。


そこに「悲しい(顔の)人」がいました。私たち夫婦は、よく "今日は、悲しい人のところでサンドイッチを買おうか?" と言っていました。


この辺りに住んでいる人ならどこの店か、どの人のことか分かると思います。


彼女は、いつも哀しみに(じっと)たえているというような表情をしていました。"笑える?"って訊けない、深い哀しみをたたえているように見えました。


私たちがその店に通うようになってずーっと、彼女はいつも「悲しい人」でした。(そういう顔で生まれたのかと思えるほどでした。)


ところが、先日サンドイッチを買いにいって、帰ってきた妻が “あの人もう哀しくない見たい" というのです。"それはよかった、彼女の不幸の原因が解決したのかも知れない”。でも、何か信じられませんでした。


{彼女が微笑んだのです}


妻からテキストが来て、娘と孫が来るから、歯医者の帰りに、サンドイッチを買って来るようにとのことでした。


その店に寄ると、"本当だ"。彼女は "普通" の何気ない表情になっています。


"よかった、よかった"と思っていると、"合計いくらです"と言われて、クレジットカードを出すと、"現金で"と言われて、"あっそうだった。ここは現金だった" と財布を開ける。現金が足りない! (どういう訳か、だいぶ慌てている。)


"車に隠し金があるので取りに行ってくるから待ってください" といってから、行こうとして、違うポケットに20ドル入れてあったのを思いだして、"あった、あった”。


”I am getting old and forget everything.” (私は年取ってしまって、なんでも忘れてしまうんだ。)といったら、彼女がふっと微笑んだのです。


微笑んだ! 微かだけど、笑ったんです。"あぁよかった。本当によかった"、とそう思いました。


テサロニケ人への第一の手紙‬ (‭口語訳 5章16~18節)‬‬


[16] いつも喜んでいなさい。
[17] 絶えず祈りなさい。
[18] すべての事について、感謝しなさい。


これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 ‬‬‬


文責: ロバート イー